昨年の8月30日の衆議院議員選挙で民主党が政権を奪取したことは日本の「市民革命」であったことは間違いない。日本国民がこれまでの政権に愛想を尽かし、変革を求めて1票を投票し、その結果誕生した市民革命政権であった。けれどもそれから9ヶ月たつ今、その市民革命の火は鎮火しそうにしかない状態である。
 確かに私たちは今、現政権に裏切られた気持ちである。私たちの暮らしを変えてくれる。現在の閉塞感漂う社会に光を与えてくれると期待し、待望していたものが音を立てて崩れようとしている。そして人々は失望し、無気力に陥ろうとしている。
 さて改めて私たちは一体新政権に何を期待していたのであろうか。国民がある意味関心を持った事業仕分けのように不必要と思われるものをズバズバと斬り、社会の変革を求めたのだろうか。大阪府知事のように抵抗勢力にも負けずに、自分の信念を貫き、次々と変えていく姿を期待したのか。
 しかしながら、そこにあるのは実は受け身の自分たちでしかないのではないだろうか。他人任せの私たちがいただけではないか。誰かが何とかしてくれる、私たちの暮らしを変えてくれるというという救世主を求め、その人に任せてしまう私たちがいただけではないか。
 確かに私たちは一票を投じ手変革を求めた。そしてその結果として市民革命を成し遂げた。けれども本当はひとつの大きな壁を崩したに過ぎなかったのだ。私たちはその壁を崩せばそこには新しい世界が広がっていると勝手に思い込んでいただけなのだ。けれども現実には崩れた壁のその先にはまた別の壁があり、私たちはそれらを一つひとつ崩していかなければならないのだ。
 ひとつの壁を崩し、私たちはそれですべてが変わると思っていたのだが、そうではなく失望した。一方旧勢力はいくつもの壁をまだまだ作っており、そこで新たな展開を行おうとしている。国民のこの失望は彼らの思う壺だ。彼らにとってこのうまい汁をそう容易く手放すつもりはないのだ。
 私たちが目指す世界にたどり着くにはまだまだ苦痛が伴う。一つ崩したからすべてが変わるわけではなく、いくつもの壁は続く。あきらめてしまい再び従属するのか。それとも誇りと自由を求めて前進していくのか、今問われている。