12年ぐらい前のカンボジアを旅したときの出来事。

ベトナムから飛行機でプノンペン入りした僕はプノンペンの空港で知り合った日本人バックパッカーと1泊4ドルの安宿をシェアすることにした。

そこは1階はカフェ兼レストランで、2階から上の階が宿泊部屋でとなっており、部屋に荷物を置いてひと段落した僕らは1階のカフェに行き、夕食を取り、その後はビールとお茶を飲みながら話をしていた。

レストランには他に数名の日本人旅行者がおり、いつしか合流して現地情報等の交換をしあった。

当時のプノンペンの治安はまだまだ悪く、(今現在はどうなのか分からないが…)夜は1人では外を歩くのはかなり危険であり、もし出かけるならばホテルから目的地まで車(タクシー)もしくはバイクタクシーで行くしかなかった…。

プノンペンに滞在している間いつも22時頃を過ぎると町のどこかから銃声が聞こえてきた。

噂によるとそれはどうも警官が不審者に対して威嚇発砲をしているらしい…。

(いつしかその銃声が僕らにとってそろそろ部屋に戻って寝る時間ですよ…とお休みの合図となった。)

プノンペン


安宿であるが故に、そこに泊り、レストランでだべっているのは大概が薄汚く胡散臭い飢えた男たちの集団であり、毎度話しはどこそこの国や町の情報から始まり当然のことながらいつしか女性の話題にもなる。

そしてカンボジアで女性を買うには…という話が出てくる。

それはそれでいい。

それも飢えた男たちの楽しみ(?)だ。

けれども学生を卒業したばかりぐらいの男が、「僕エイズが怖いから、11歳の女の子を買っちゃいましたよ。」と笑いながら話した時にはユニセフに寄付をしていた僕としてはそいつを殺してやろうかと思った。

カンボジア


話は変わり、その宿には「情報ノート」というものが置いてあり、そのノートには世界のバックパッカーたちからの旅の情報やら、日記のようなコメント等が書かれてあった。

たとえばそこには「船でシェリムアップ(アンコールワットのある町)に行っていたら、途中岸から鉄砲の弾が飛んできた。」などが書かれてあった。

僕はこの後そのシェリムアップに行く予定だったので、そのノートを読んでちょっとドキドキした。

 「どうやっていこうか?車で陸路を行くのはちょっと怖いし、やっぱり船?でも鉄砲の弾が飛んできたって書いてあるし・・・ここは安全策で飛行機で一気に飛んでいくのが安全???」と頭を悩ませた。

結局少しは冒険しないとバックパッカーとして恰好がつかないということで、行きは船、帰りは車で行くこととなるのだが…。

ちなみに当時はポルポトがまだ生きているころで、タイとの国境付近に潜伏しているとの事だったが、その半年後ぐらいにポルポト死亡との記事が日本の新聞に大きく掲載された・・・。



次の日の夜また1階のレストランでみんなと話をしていると、ひとりの若き日本人が「僕はカンボジアに来るのは今回が3回目なんですよ。」とのこと。

「へえ3回目なんてすごいねえ。そんなにカンボジア好きなんだ。でもこの混沌とした雰囲気イイよね。」と話たのだけれども、僕は内心「彼はカンボジアに女でもできたかな?カンボジアの女性ってどこか野生的な美があり、日本人の女性には決してない魅力があるからな・・・。」と勝手に想像してしまった。


翌日僕は船に乗り込み、「鉄砲の弾が飛んできませんように。」と船内の真ん中の席を陣取り、ずっと身長177cmの身体を小さくして座っていたのだが、高速船は無事に何事もなくシェリムアップに到着した。

シェリムアップはプノンペンと違い、ずっと平和的で安全な雰囲気で、スローガンにも「観光で豊かに・・・」のようなことが書かれており、実際暗くなっても道路を歩くことができた。

アンコールワット


シェリムアップでも1日5ドルぐらいの宿をシェアし、翌日からアンコールワット、アンコールトム等の見学に出かけるのだが、その宿のカフェでボ~っとしていると、そこにも「情報ノート」が置いてあった。

ノートを開けてみると、「青年よインドへ行け!」とか、「陸路でタイに抜ける方法(ただしパスポートが血だらけになるかも・・・)」など様々なことが書かれている。

「いや~恐ろしいな。でもやってみたい気がする。でも死にたくないな…。でもインドは行ってみたいな・・・。」とブツブツ言いながらノートを読んだ。

ちなみに旅の途中で友達となった日本人の一人は、タイとカンボジアの国境が開かれたという話を聞きつけ、“運だめし”で陸路でタイに行きます!と、行ってしまった・・・・。

その結果・・・、彼は血みどろに…なることもなく、後日日本で電話で話した。

ノート

情報ノートをずっと興味深く読んでいると、最近書かれたある文章が目に入ってきた。

それにはこう綴られていた。

 「今回でカンボジアに来るのは3回目になります。今回も日本から古着をたくさん持ってきました。これをあげた時の子供たちが喜ぶ顔が見たくて・・・。」と書かれてあった。

 「ああ(プノンペンで出会った)彼だ!彼はこのためにカンボジアに来てたのか!」

と僕は感嘆の声をあげた。

それに比べて僕は・・・、何と愚かな想像しかしなかったのだろう…。

(ちなみに僕は後日プノンペンにあるユニセフの事務所を訪れ、何でもいいからボランティアで働かせてくれと頼んだのだが断られ、仕方なくそこで売られていたレターセットを買った・・・。)


カンボジア2


 このような若者がどんどん増え、日本と日本人のよさが草の根的に広がっていくことを僕は望む。
 


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