僕はこれまで僕なりにいろいろな世界を見てきた。アラスカに行き氷河が海に崩れ落ちるところを見たり、夏の終わりのデナリで高山植物が真っ赤な絨毯となっているところに、黄金に輝くグリスリー(灰色熊)が現れるシーン。はたまたミクロネシアで優雅に泳ぐマンタの姿、内海のサンゴとカラフルな小魚達が作る竜宮城のような世界、ギンガメアジの群れが作る海の中の壁。オーストラリアで3週間近く野宿をしながら仲間たちと旅をし、東西南北の3方から稲妻が近づいてきて大雨に襲われたこともある。満天の星空に次から次へと流れる流れ星。僕が載っているボートの横を3メートルぐらいあるワニが横切っていった。砂漠の中を30時間以上バスに揺られたり、はたまたタスマニアのオーバーランドトラック80キロをテントと食料を背負い歩きもした。
 象に乗って旅もした。アンコールワットはすごいと思った。ヨーロッパ建築アントワープやらブリュッセルのグランパレスなど見てなんて人間の創造力はすごいのだと感激した。

 四国88カ所を歩いて廻ったり、禅寺でひたすら坐禅を組んだり、炎の行者のもとでひたすら護摩行に耐えもした。伊勢神宮や出雲大社は神秘的だし、東寺の5重の塔、羽黒山の5重の塔もすごいと思ったし、しまなみ海道は感動モノだし、いまできているスカイツリーもすごいと思う。

 訪れた国の数はそれほどでもないけれど、僕なりにいろいろなものを見て、体験してきたつもりだ。そしてその結論は「地球はすごい。人間もすごい。」ってことだ。

 けれども残念ながら、今地球と人間がバラバラになってしまっている。それをもっとも現したものが今回の原発事故だと思う。今回の事件もテロという説もある。テロの地震にしろ、自然現象にしろ、人間が(欲望から)作った原発というものが爆発し、自然が汚され、人間も苦しみ、それらが見事に今の人間と地球の関係を現している。

 地球のダイナミズムや繊細さに人間は到底及ばない。そして地球の機能のどれ一つ欠けようと人間は生きていけない。けれども同時に人間は素晴らしき創造力を持っている。その能力の使い方次第で人間は地球を壊滅状態にすることもあるいは発展させることもできる。それでもやはり人間は地球を支配することはできないと。
 たとえ今世界にある原爆を全部爆発させ、地球を壊滅状態にし、人間も滅んだとしても、地球は何千年後、何万年後に新しい生命を育み、新しい地球世界を作りだすだろう。

 だから人間は今回の災害を通じて本気で自分たちの世界を見直すべきだと思う。今のように分離ばかりの世界でいいのか。考えてみればここ100年地球はそして人間の深層の意識はそれをずっと警告してきていたのではないかと思う。
 広島長崎の原爆、水俣病・イタイイタイ病などの公害、赤潮発生、バブルの崩壊、阪神大震災。他の食品偽装も、秋葉原事件もそしてイノシシやらヒグマの問題もすべては地球(自然)や意識の警告だったのではないかと思う。

 物質文明は確かに僕たちの生活を豊かにしてくれもした。車が電車が飛行機がいろいろなところまで行けるようにしてくれたのも確かだし、コンピューターが情報手段を変えてくれたし、そのおかげで僕は世界を旅することができ、こうして書くものを発信することもできる。
 文化の発達も様々な物質のお陰であり、僕は今もそれを享受していることも確かだ。そしていきなりこの物質文明を全部否定して捨てることもできない。

 けれども見直しすることはできるし、地球と共生していくものを選ぶことはできる。そして何よりも日本人はその力を一番持っている。もちろんネイティブアメリカンのホピ族、アボリジニア人らの自然と一体化する能力は素晴らしい。けれども日本人は自然と一体化する能力と物質文化、精神文化それらを含めて一体化する能力を持っている。

 今回の事件も今日本人はもたもたして、ゴタゴタしているけれど、最終的に解決するのは自然の力と日本人の持つ技術力、意識・精神性だと思う。だからちょっとの時間でいいから僕たちは生活の見直し、自分自身の見直しをし、そして地球との関係を見直してみるべきだと思う。



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