かつて10年ほど前お遍路さんとして88ヶ所を歩いた時には毎日が感謝の連続だった。お接待をしてくれた人、道を教えてくれた人、出会う人々に感謝をすることはもちろんのことながら、最終的にはこうやって(88ヶ所を)廻れること、お参りできること自体がありがたいことだと思うようになった。そして僕の結論は「お参りできることに感謝する、あるいは感謝できる」ことこそお遍路の共通のご利益だと思うようになっていた。そして感謝できる生活とは素晴らしいと実感した。

 けれども、お遍路生活から日常生活に戻り、日々の出来事に追われるようになると、毎日がいつの間にかスピード化、効率化、最適化…etcを目指しての生活となってしまった。こうなると誰かあるいは何かに腹を立てる・目くじらを立てることが多くなり、いつの間にか感謝の気持ちを忘れてしまった。

 感謝をすることの大切さは、様々な本で嫌というぐらいに書かれてある。そして僕もそうありたいと家で心を落ち着けているときには、ありがたいと思えて、人々に感謝をしなければ…と思うのだが、いざ一歩外に出て仕事に向かうと、そのようなことはすっかり頭から抜け落ち、心の余裕は無くなり、ある意味戦場と化してできない奴は斬るというスタイルになっていた。それも以前は福祉という職に就いていながら…。利用者に腹を立てることはよほどのことがない限りあり得ないのだが、一緒に働く職員に対してはそうなっていた。

 それでも頭の中では(理論として)感謝の生活の大切さを理解しているつもりで、先日も電話で、僕自身のこれまでの生き方を振り返ってみて、僕のこれからの生活は感謝ができるようになりたいんだ…って話しをした。電話の相手は感謝しながらの生活をしており、すごく羨ましく感じた。

 また数年前に、ある本に「ありがとう」を2万回言うと、涙があふれてきて感謝の気持ちを持つことができたと書かれており、それを試そうと通勤の間中「ありがとう」と言っていたこともある。結局2万回にたどり着かなかったのかどうか分からないが、何も変わらなかった…というのが現実だ。

 こんなことを繰り返し、はや10年。未だに日常の中では「感謝」の心をついつい忘れてしまう。そして夜ひとりで後悔したり、反省したりする。それでも以前よりは「感謝しなくちゃ」と思える時は増えてきたようにも思える。少しは成長しているということだろうか。

 昨日ノートを見ていると橋本保雄氏の「人間関係にも切り札がある」という本の中の文章を書いていた。それは~感性を十二分に発揮するためのキーワードの1つが感謝である。「あなたにお会いできて、このような話をするチャンスに恵まれて本当にありがたい。」そんな気持ちで相手に臨めば、間違いなく感性同士は響きあう。身構えや心のバリアは瞬時にして取り除かれるのだ。絆が芽吹くのである。~とのこと。改めてそうだなっと思った。

 まだまだノートを見ながらでしか、この言葉を書けない。イコール僕自身のものにはなっていないということだろう。それでも毎日が感謝できる生活を目指していきたい。そう思いイメージしていこう。日中忘れることがあっても、思いだしたときに感謝すればいい。強く思えば、それはやがて現実となる。僕たちは「思考が現実を創造する」世界に住んでいるのだから。


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