「子供は親を選んで生まれてくる。」ってことを信じますか?
 僕は最近このことを本で読んだり、人から聞いたりしたのだが、先日どうも本当だなということに出会った。
 それは障害者の自立支援のNPOを立ち上げ、障害者も働くレストランをオープンしている人に出会い、話を聞いたのだが、そこでピン!!と来てしまったのだ。

 実はその方の子供は障害を持っているらしく、それがきっかけで、その方は福祉のことを学び始めた。そして福祉の現状を知り、もっと障害者も自立できる仕組みを作りたいと思い、そして考え付いたのがそのレストランだ。そこは障害者も働いているけれども、如何にも障害者が働いていますというような雰囲気は全くなく、ごく普通の…というよりも先進的なレストランだ。
 まずはバリアフリーとしてスロープがあり、車椅子でも入れる設計がされているのであるが、それがさも当たり前というか、普通に存在しているのである。
 そしてそのレストランでは3名ほどの障害者が働いているそうなのだが、僕は全くそれを感じることはなかった。もちろん僕はそこが障害者自立支援のNPOとしてあることを知っているので、どこかで障害者が働いていることは知っている。おそらく厨房かな(?)とか、この食器類は和風の弁当風な容器となっており、障害者でも洗えるように工夫しているのかなと、考えることがあったが、普通の人ならそこまで考えることはなく、このレストランの特徴とだけ理解するだろう。

 そして僕が何よりも驚いたことはトイレに入った時だ。そのトイレはやはり障害者が使用できるように設計されていた。当然と言えば当然のことなのであるが、そこは障害者向けのためのトイレというのではなく、一般者も障害者も一緒という雰囲気に作られていたことだ。しかもデザイン的にも美しかった!
 とにかくそこは障害者も健常者も一緒です。それが当たり前という雰囲気があふれているのだ。決してそれは押しつけではなく、あくまでもおしゃれで、人々が楽しくおしゃれに食事ができる場所なのだ。レストラン自体のデザインもすごくおしゃれだ。カップルで行っても全然okな場所だ。
 僕がレストランを訪れたのは平日の12時過ぎだったのだが、、子供連れのママさん達のランチタイムの場所ともなっており、すごく賑わっていた。

 ソーシャルインクルージョン、あるいはインテグレーションという言葉がある。これは僕が10年近く前に社会福祉士の資格を取ろうとしていた時に、授業で出てきた言葉だ。障害者も一般者も区別することなく、それが当たり前であること。例えば、ショッピングセンターに行くと、男女のトイレと、障害者向けトイレとに分かれているが、男女のトイレのどれもが障害者も使えるような設計であれば、そこに一般者と障害者のわけ隔てはなくなる。そんなふうに習った。そのときの記憶が僕の中で蘇った。

 そして僕は、その方から障害者を持つ母親として、障害者が自立していくことを考えて始めたということをきき、僕はその人の子供が、その人にその行動を起こさせるために生まれてきたのではないかと思った。

 僕は人間はなぜこの世に生まれるのかというと、「成長するため。」と第一に答える。人間は不完全な存在である。だから少しでも完全となるようにいろいろな経験を積み成長していく。だから人間は生まれてくるのだ。もし人間が完全ならばこの3次元という不自由な世界に生まれてくる必要はないはずだ。
 おそらくその子は母親を選び、母親に成長するきっかけを与えたのだろう。そして自らも成長するために、その(障害を持つという)ポジションを選んだのだろう。そんなふうに思う。

 最近僕は思うようになった。子供がもし親を選んで生まれてくるならば、僕はなぜ僕の両親を選んだのだろうかと。そこにはきっと理由があるはずだ。そう成長するための理由がきっとあるはずだ。そういう意味で考えてみることも秋の夜長にはいとをかし…。


 ちなみにこのお店は愛媛県北宇和郡鬼北町にある手作り菜宴あ×うです。その田園風景が心和む小さな町に、この素敵なレストランはあります。食事も町の風景にも癒されます。もちろん地産地消。