入江富美子氏監督作品「1/4の奇跡~本当のことだから~」を観てきた。この映画は特別支援学校の教諭山元加津子さんのインタビューを中心にしたドキュメンタリー映画で命の持つ神秘や、生きる理由を題材にしたものである。
 この映画の中で盲目のアスリートの人が登場する。残念ながら名前を忘れてしまったのだが、この方はある時原因不明の病気で失明してしまう。いわゆる途中障害者なのであるが、この方のインタビューで「神様が願いをかなえてくれるとすると、ぼんやりとでもいいから成長した子供の顔が見てみたい。けれども目が見えるようにしてくれるといってもそれは断る。」という内容の答えをしていた。
 また多発性硬化症いう病気の雪絵ちゃんの話を加津子さんがするのであるが、雪絵ちゃんはその病気を抱えているからこそ得られる出会い、もの、感覚があることを話していた。

 以前やはり入江富美子さんが監督した「天から見れば」を見たときにも、両手を失った順教尼も画家の南さんも同様に、自分の障害を受け入れ自分の人生に幸福を感じていた。そして同じようにまた腕のない人生を選ぶと言っていた。

 僕はまたここにも同じことを言っている人がいるということで、衝撃を受けた。障害とは一般の人達から見れば、「何と不自由な事なのだろう、かわいそうだな、大変だな。」と気の毒に思う。けれども彼等はそれを受け入れ、乗り越え、幸せを感じ、その状態に感謝さえしているのだ。僕たちいわゆる5体満足と言われる人達で、そのことで幸せを感じ、感謝もする人達ってあまりに少ないのではないだろうか。かえって不満を述べていることの方が多いのではないだろうか。

 僕はかつて人間は誰でも本当は障害者ではないかと思ったことがある。それは人間誰もが(必ず)コンプレックスを持っている。例えば自分の容姿のことであったり、内面のことであったり様々だ。そしてそのコンプレックスというものがどこに現れるかで、障害者と言われるだけではないのかと思ったのだ。
 例えば下半身まひで生まれた。それが一般の人と違うから、身体障害者。臓器に異常(コンプレックス)がある。だから内部障害者。一般の人とは考え方が違う、行動が違う。だから精神障害者と言われるだけなんではないかと思った。そしてそのコンプレックを外の人から見て大きさが小さい人が、一般の人と呼ばれ、また健常者と言われているだけではないかと…。

 そして人間とはこのコンプレックスを克服することあるいは受け入れることができるようになるために生まれてきたのではないかと考えた。更にはそのコンプレックスを受け入れられた人が(生まれてきた課題を成し遂げたので)幸せになるのではないかと考えたことがある。

 外から見ると何でもないようなことが、本人にとっては大きなコンプレックスとなり、そのことによってその人は真っ暗闇にいるように感じることはしばしばある。僕も若き頃は今となってはどうでもよいことに悩んでいたこともある。そして今もコンプレックスを持ち悩んでいることもある。いわゆるコンプレックスあるいは障害は大きなのがひとつの人もいれば、小さいのが複数ある人もいる。
 けれどもどちらにしろ、それらを受け入れられて前に進めたときに初めて幸せとはやって来るものではないかと思うのだ。

 さてさて、世の中はこれまで秘密にされていたものがどんどん解明されている。そしてその解明されていることによって明らかにされていることは、「1なるもの」つまりワンネス、すべてはひとつということである。もしかすると宇宙は拡大期から収束期に入ったのかもしれない。これから僕たちはますます大いなる1つ(ワンネス)に向かっていくのだろう。