最近働くってことについてよく考える。「働く」ってどういうことなのだろう。
 何故このような疑問が出てくるかというと、まず始めに最近の政治家。特に国家議員。一体誰が今の彼らを尊敬するだろうか。そして彼らは一体何をやっているのだろうか? 


 震災から11カ月経ちようやく復興庁なるものができた。それまで彼らは一体何をしてきたのだろうか。情報を隠ぺいし国民を欺いてきた。その挙句今や国政はボロボロ状態だ。そしてその復興庁も本当に機能するのだろうか?彼らは一体何のために働いているのだろう。

 企業にしろそう。大企業と言われる企業群。トヨタは生産拠点をアメリカにシフトしていくことを決めた。円高によるためとはいえ、そのためにどれだけの日本人が職を失い、そして産業の空洞化は進むのか。何故もっと人をひき付ける魅力的なものを創造することができないのか。結局企業とはその企業名を残すのが目的なのだろうか。そんな中で働くってことはどういうことなのだろう。

 またオリンパスにしろ大王製紙にしろ僕たちはこのところ常に大企業のトップと言われる人々の醜態を見てきた。彼らのどこがトップなのだろうか。彼らの下で働くってことはどういうことなのだろう。

 金融機関しろ今や誰が金融機関に働いている人々を尊敬するだろう。ひたすら刷られたペーパーマネーの増殖しか考えられない人々。魅力的な人や企業を育てようとするところがどれだけあるのだろう。中央銀行しかり官僚もしかり。いわゆるエリートと呼ばれる人々総崩れの状態だ。


 これでは学生たちが「働く」意味を見いだせないのも当然ではないか。苦労して一流大学と呼ばれるところに入り、一流と呼ばれる企業に入ったとしてもリストラされることは大いにあり得る。国家一種に合格し官僚となり、夜中まで働いてたとしても表面だけでの尊敬。一体何のために働いているのだろうか。

 
 結局僕たちは現在「働く」ってことの転換期にいるのだ。これまでのは働くってことは多くの場合「富(金)を得る」、「生活のため」、「家族を養うため」あるいは「地位を得るため。」だった。けれどもその時代は終わろうとしているのだ。その音を立てて崩れているのが誰にでも分かるだろう。

 もちろん家族を養っていくという面は今後も続く。世界が大きく変わるまでにはまだしばらく時間がかかる。けれども「働く」ってことの意味は大きく変わらざるを得ないだろう。資本主義の崩壊が秒読みとなりつつある現在「働く」事の意味も変わらざるを得ないだろう。


 では「働く」ってことの意味はどう変わるのか。実はその答えも出始めている。現在社会起業家という言葉がよく聞かれるようになった。彼らは社会を変えていくことを目的としている。身近なところではNPO活動。彼らは大なり小なり社会の変革に携わっている。もちろん利益もあげている。非営利といえども現代社会の中では利益を上げることは必要だ。いずれ利益の定義は変わって来るだろうけど。

 他にも半農半Ⅹと呼ばれる生き方をする人々。農業をして自分達の食を確保しつつ、自分の使命を追求していく人。彼らの多くがお金の追求ではなく、自分自身のライフスタイルの追求、あるいは自分の社会に対する使命を追求する。


 要は今自分たちが社会に対して、あるいは地球に対しても恥ずべき生き方をしない。貢献するべく生き方をしている人々はそれを「働く」ってことにもその基準を取り入れている。これが「働く」ってことの新しい意味となってきている。もちろん中には貢献しているつもりが、そうでない人々もいるかもしれない。けれども彼等はそれに気づけば修正する。失敗は世のつきものだ。そして失敗からより大きなものを得る。新しい「働く」ことの概念はそれが許される社会だ。


 さて今のあなたの「働く」って意味はどのようなことなのでしょう。今している事に誇りが持てますか?


 

らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~