厄年というと、誰もができる限り何事もなく終えたいと思うことでしょう。特に大厄を迎える時など、なるべく無事に過ごせるよう、大難が小難となるようにと厄払いに行って、祈祷してもらって、お札をもらって帰り、そのお札に毎日手をあわせるぐらいの勢いとなるのではないでしょうか。


実は私も昨年は大厄で、今年は後厄の一年となります。昨年は結石ができ、それが尿管に詰まり死にそうな思いをしました。そして今年もカゼを引きそれから調子がすぐれない日々が最近まで続いていました。(もちろん厄払いには行って来たのですが…。)


男の厄年は数えの42歳ですが、思うに40歳を過ぎて何かと体の変化を感じます。私の場合どんどん体力が落ちていくのですが、それと反比例するかのように体重は増えています。やはり男のこの頃の年齢は体の変化がいろいろと起こる年齢なのでしょう。厄年というのはそういう意味で当たっているとも言えますし、そこに大厄がもうけられてもいるのかもしれません。


C42d6ce1a762673bcc595560b43191f3_s


さて、この変化がもたらされる身体とは物質世界の象徴であるといってもいいと思います。そしてこの物質世界の原則とは、「形あるものは壊れていく」ということでもあります。物質として形あるもので、永遠なるものはないと断言してもよいのではないでしょうか。


故にこの次元で肉体は生まれ、成長し、そしてピークを迎え、あるときから衰退し、やがては滅びていきます。これぞ法則であり、それがこの次元の限界なのかもしれませんし、永続性なのかもしれません。一方で滅びるものがあれば、一方で生まれ来るものがあり、そうして循環し繰り返していくこと、これもまたこの次元の法則です。


Photo_13


この身体、カタチあるものはいつかは滅するという有限性に対して、魂は永遠であり、不滅のものです。そしてこの次元に降りてきて肉体と共に生滅を繰り返していきます。いわゆる輪廻転生というものです。永遠なる魂と消滅を繰り返す肉体。この2つの相反するものがひとつとなり、この物質次元の中で循環していくのです。


そして魂の永遠性と肉体の有限性。それらを通じて魂は成長していくのです。私たちは過去世の事をほとんど覚えていません。それに対して魂はこれまでのすべてを貯蓄しています。しかしながらこの肉体でいる限り魂は直接は語りかけてくることはありません。


しかしながら魂は肉体をある意味コントロールしようとします。いわゆる使命へと向かわせようとするのです。この肉体の誕生の前に描いたプランを実行しようとするのです。一方肉体はその使命に向かいつつも、肉体の自由を行使しようともします。そしてそこに葛藤が生じます。いわゆる3(4)次元と5次元の覇権争いのようなものです。


そこで3次元の肉体が上回れば、肉体への快楽へと突き進みます。それがいわゆるエゴというものです。しかしながらそれが勝り続けると自らの肉体の破壊へと進んでしまいます。例えば暴飲暴食を繰り返せば、その分余分なもの、あるいは余計な負担が過剰に蓄積され体は破壊されていきます。


一方魂が上回ればどんどん魂の上昇へと向かいますが、ときにそれは肉体の限界を超えて上昇しようとし、遂には肉体への破壊へとなってしまうこともあります。激しい修行により体を壊したり、精神を逆に病んでしまうことはありうることです。


結局魂と肉体の調和が要求されているのです。それがこの次元で私たちが一番うまく成長していく方法なのです。


ではその調和をどのように見出していけばよいのでしょうか。正直こればかりは私たちの経験の蓄積によるのではないかとしか言うことができません。そこには当然ながら個人差もあるでしょうし、魂のレベル、肉体の強度等様々なものが関係してきます。


Photo_15


厄年の話に戻ります。最近言えることがひとつあります。それは厄年を迎えてはじめて分かることもあるということです。私の場合肉体の変化の時期を迎え、改めて自分自身のこれまでの生活を振り返ることができました。そしてこれまでの肉体への負担のかけ方を考えると、自分自身の生活を改めて調整していく必要性を感じるのです。


こうして自分自身の肉体(の限界)について分かる一方で、魂の存在について考えるようになり、ようやくその使命へと向かう判断ができるようになったことも感じます。そのため魂を向上させようと自分自身の使命に向かっていきたい気持ちも募っています。


厄年を通じて、この肉体(の限界)の認知と魂の追求という二つを実感したわけですが、これからはこれらを調整・調和させながら進んでいくことがやるべきことであるとも思えます。しかしながらどちらも結局焦ってはいけないし、なるようにしかならないようにも思えます。


ただ一つそこにはどちらも意識が絡んでいるように思います。意識でもってどのようにコントロールし、方向を定めていくかということになるのです。肉体の3次元と魂の5次元に共通するもの、それはもしかすると意識かもしれない。そして意識こそがそれらを統合するものなのかもしれません。厄年とはそのような意識をもたらすものなのかもしれません。


222



らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~