八さんは車椅子で移動しないといけないこと以外、しっかりした人だった。いつも冗談を言って笑いあったり、タオルをたたむのを手伝ってくれ職員の仕事の負担を軽減してくれたりもする、とてもありがたい入居者さんだった。
八さんは僕や職員みんなに気を使ってくれる人であり、夜勤明けの時にはいつも「「お疲れさん。大変ねえ、夜勤は。」って言ってくれた。だからみんなハチさんのことが好きだった。
ある時八さんはのどの調子が悪くなり、日に日に声がかすむようになったので、病院に検査をしに行くこととなった。すぐに戻ってくるものと思いきや検査の結果咽頭がんであることが分かり、急きょ入院することになった。しかしがんの進行が想像以上に早く入院して数日後には危篤状態となり、遂に今晩がヤマと言われた。
そしてそのまさにヤマの日に僕は夜勤勤務だった。夕方の申し送りの際にその日のリーダーから、八さんが危篤で危ないということを知らされた。そのことを聞き最初ビックリしたものの、その日の夜勤はいそがしくなる覚悟を決め、もし八さんが深夜に戻ってくることになった場合のことも考えながら仕事をすすめていった。
夕食の介助を終えしばらくして、時間を見ながら利用者さんをそれぞれの居室やベッドへと連れていき、トイレ誘導、あるいはおむつの交換を行っていく。その他夕食時の食器類の洗浄、明日の朝の薬の準備、そして洗濯機の入れ替えなど、夜勤の仕事をひとつ一つこなしていくうちに、どんどん時間は過ぎていき、あっという間に時計は0時をまわっていった。電話がいつ掛って来るかも知れないと思いながらも、僕は夜勤の相方と交代で仮眠を取った。
そして時間は3時、4時と何事もなく過ぎていく…。電話はまだかかってこない。「八さん頑張っているんだ。」と僕は心の中で八さんのことを考えながら、夜勤の仕事をこなしていった。
やがて時刻は5時を過ぎ、利用者さんの朝の排せつ介助、着替えの介助を行う時間となり、僕は相方と2人で40人余りの利用者のおむつ交換や寝間着から日中の服への着替え介助をしていく。朝のこの時間はいつもながら汗だくとなる時間だ。時にはまだ眠そうな利用者さんに悪いなと思いながらも、起きてもらい、着替えをするように促していく。
6時を過ぎ、排せつ交換・着替えにひと段落つき、少しだけ休憩を取る。「八さん大丈夫だったね。」とお茶を飲みながら話をし、早番の職員が来るまでに、あと数人の排せつ介助と、着替え、そしてみんなを食堂に誘導しなければならない。
再び気合いを入れ、各居室へと入っていく。「おはよう!もうすぐ朝ごはんだから、起きて顔を洗って、食堂へ来てね。」と声かけしたり、ベットから車いすへの移乗介助を行っていく。
6時55分、早番の職員が僕のいる居室へとやって来た。そして「今電話があって、八さんが亡くなったって・・・。私これから4階で(八さんが戻って来る部屋の)準備をするから、こっちはお願い。」とのこと。僕は「分かった。上はお願いします。」と告げ、しばしの間なんとも言えない気持ちに浸った。
と同時に「八さん、この時間まで待っててくれたんだ。」と思った。八さんは夜勤の仕事が大変なのを知っていて、いつも気遣っていてくれたから、早番の人が来て、少しでも落ち着くまでは…と思って頑張ってくれたんだ。」
ありがたく思うと同時に、悲しみが込み上げ、こんなときまで気を使ってくれて・・・、最後ぐらいいっぱい迷惑かけてくれてもいいのに・・・、と何とも言えない気持ちとなった。
それから僕は、利用者さんに悲しい顔は見せちゃいけないと、八さんのことを思いながらも、利用者さんに笑顔で声かけしながら、ベッドから起こし、車椅子に乗せ、洗面所で顔を洗い、そして車椅子を押して食堂へと向かった。
食堂に着いたとたん突然僕の心の中に八さんの笑顔が飛び込んできた。八さんが車椅子に乗って笑いながら手を振っている。
八さん戻って来たんだ。それも満面の笑みで戻って来てくれた。僕の心にはこれまで八さんと笑いあった思い出がよみがえってきた。
夜勤明けで仕事が終わった時に八さんとフクさん木下さんと僕の4人で一緒に居室の窓を全開にして、すぐそばの満開の桜を見ながらお茶を飲んだ日のことを思い出した。
そして今八さんは車椅子に乗って、笑いながら手を振ってくれている。
「お帰り、八さん!」。
僕は思わず元気になり、再び力が入り、満面の笑みとなり、仕事していった。利用者さんを食堂に案内しては、元気におはようと声をかけていく。もちろんそこには八さんもいる。
けれどもそんなことを知らない他の職員達は、それぞれに涙をこらえながら、あるいは影に行っては涙を拭いて、なんでこんな悲しい時にこの男は満面の笑みで仕事をしてるのだ!と批判めいた視線が突き刺さって来た。と同時に、陰でなんであの人笑ってるのと囁いているのが聞こえてきた。
けれども、僕には八さんがすぐそばにいて、大笑いをしながら、手を振っていることを感じているのだ。だから「お帰り!ありがとう。」なのだ。笑顔で帰ってきてくれてこんなにうれしいことはない。元気に仕事する以外にどうすることができる?
でもこんなこと理解してもらえないよね。それも分かっている。
そしてやがて八さんは、大笑いをしながら、そして車椅子から手を振りながら、ありがとうと言いながら、だんだんと遠くへ行った。僕は「八さん、ありがとう!」と見送った。
日誌などの書類も書き終わり、夜勤の仕事が終わった。
僕は4階へと階段を駆け上がり、部屋の扉を開けた。そこには病院からもどっってきた八さんが穏やかな表情で眠っていた。
ありがとう八さん。こんな最後の時まで気を使ってくれて。
ありがとう八さん。いつも声かけてくれて。
涙が初めてこぼれた。
もう10年近く前のこととなる。でも八さんは今でも僕の心の中にいる。
らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~
八さんは僕や職員みんなに気を使ってくれる人であり、夜勤明けの時にはいつも「「お疲れさん。大変ねえ、夜勤は。」って言ってくれた。だからみんなハチさんのことが好きだった。
ある時八さんはのどの調子が悪くなり、日に日に声がかすむようになったので、病院に検査をしに行くこととなった。すぐに戻ってくるものと思いきや検査の結果咽頭がんであることが分かり、急きょ入院することになった。しかしがんの進行が想像以上に早く入院して数日後には危篤状態となり、遂に今晩がヤマと言われた。
そしてそのまさにヤマの日に僕は夜勤勤務だった。夕方の申し送りの際にその日のリーダーから、八さんが危篤で危ないということを知らされた。そのことを聞き最初ビックリしたものの、その日の夜勤はいそがしくなる覚悟を決め、もし八さんが深夜に戻ってくることになった場合のことも考えながら仕事をすすめていった。
夕食の介助を終えしばらくして、時間を見ながら利用者さんをそれぞれの居室やベッドへと連れていき、トイレ誘導、あるいはおむつの交換を行っていく。その他夕食時の食器類の洗浄、明日の朝の薬の準備、そして洗濯機の入れ替えなど、夜勤の仕事をひとつ一つこなしていくうちに、どんどん時間は過ぎていき、あっという間に時計は0時をまわっていった。電話がいつ掛って来るかも知れないと思いながらも、僕は夜勤の相方と交代で仮眠を取った。
そして時間は3時、4時と何事もなく過ぎていく…。電話はまだかかってこない。「八さん頑張っているんだ。」と僕は心の中で八さんのことを考えながら、夜勤の仕事をこなしていった。
やがて時刻は5時を過ぎ、利用者さんの朝の排せつ介助、着替えの介助を行う時間となり、僕は相方と2人で40人余りの利用者のおむつ交換や寝間着から日中の服への着替え介助をしていく。朝のこの時間はいつもながら汗だくとなる時間だ。時にはまだ眠そうな利用者さんに悪いなと思いながらも、起きてもらい、着替えをするように促していく。
6時を過ぎ、排せつ交換・着替えにひと段落つき、少しだけ休憩を取る。「八さん大丈夫だったね。」とお茶を飲みながら話をし、早番の職員が来るまでに、あと数人の排せつ介助と、着替え、そしてみんなを食堂に誘導しなければならない。
再び気合いを入れ、各居室へと入っていく。「おはよう!もうすぐ朝ごはんだから、起きて顔を洗って、食堂へ来てね。」と声かけしたり、ベットから車いすへの移乗介助を行っていく。
6時55分、早番の職員が僕のいる居室へとやって来た。そして「今電話があって、八さんが亡くなったって・・・。私これから4階で(八さんが戻って来る部屋の)準備をするから、こっちはお願い。」とのこと。僕は「分かった。上はお願いします。」と告げ、しばしの間なんとも言えない気持ちに浸った。
と同時に「八さん、この時間まで待っててくれたんだ。」と思った。八さんは夜勤の仕事が大変なのを知っていて、いつも気遣っていてくれたから、早番の人が来て、少しでも落ち着くまでは…と思って頑張ってくれたんだ。」
ありがたく思うと同時に、悲しみが込み上げ、こんなときまで気を使ってくれて・・・、最後ぐらいいっぱい迷惑かけてくれてもいいのに・・・、と何とも言えない気持ちとなった。
それから僕は、利用者さんに悲しい顔は見せちゃいけないと、八さんのことを思いながらも、利用者さんに笑顔で声かけしながら、ベッドから起こし、車椅子に乗せ、洗面所で顔を洗い、そして車椅子を押して食堂へと向かった。
食堂に着いたとたん突然僕の心の中に八さんの笑顔が飛び込んできた。八さんが車椅子に乗って笑いながら手を振っている。
八さん戻って来たんだ。それも満面の笑みで戻って来てくれた。僕の心にはこれまで八さんと笑いあった思い出がよみがえってきた。
夜勤明けで仕事が終わった時に八さんとフクさん木下さんと僕の4人で一緒に居室の窓を全開にして、すぐそばの満開の桜を見ながらお茶を飲んだ日のことを思い出した。
そして今八さんは車椅子に乗って、笑いながら手を振ってくれている。
「お帰り、八さん!」。
僕は思わず元気になり、再び力が入り、満面の笑みとなり、仕事していった。利用者さんを食堂に案内しては、元気におはようと声をかけていく。もちろんそこには八さんもいる。
けれどもそんなことを知らない他の職員達は、それぞれに涙をこらえながら、あるいは影に行っては涙を拭いて、なんでこんな悲しい時にこの男は満面の笑みで仕事をしてるのだ!と批判めいた視線が突き刺さって来た。と同時に、陰でなんであの人笑ってるのと囁いているのが聞こえてきた。
けれども、僕には八さんがすぐそばにいて、大笑いをしながら、手を振っていることを感じているのだ。だから「お帰り!ありがとう。」なのだ。笑顔で帰ってきてくれてこんなにうれしいことはない。元気に仕事する以外にどうすることができる?
でもこんなこと理解してもらえないよね。それも分かっている。
そしてやがて八さんは、大笑いをしながら、そして車椅子から手を振りながら、ありがとうと言いながら、だんだんと遠くへ行った。僕は「八さん、ありがとう!」と見送った。
日誌などの書類も書き終わり、夜勤の仕事が終わった。
僕は4階へと階段を駆け上がり、部屋の扉を開けた。そこには病院からもどっってきた八さんが穏やかな表情で眠っていた。
ありがとう八さん。こんな最後の時まで気を使ってくれて。
ありがとう八さん。いつも声かけてくれて。
涙が初めてこぼれた。
もう10年近く前のこととなる。でも八さんは今でも僕の心の中にいる。
らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~