原子力基本法の改正で、「我が国の安全保障に資する」という文言が入れられることで、日本の核武装の道を開くとの懸念が国内外で上がっている。

 我が国の安全保障に資するためには、原子力をなくすことが一番だ。福島で原子力は安全でないことが、これ以上なく証明されたのだから、「日本の安全保障のためには、原子力を放棄する。」ということにすればいい。

 広島、長崎で原爆の恐ろしさを知り、非核3原則でもって、核爆弾を放棄したのだから、今回の福島の原発事故でもって、原発の恐ろしさを知ったのだから、原子力(発電)も放棄すればいいのだ。

 それなのに、政府は企業の癒着、アメリカのいいなりのために、原発の再稼働に、原子力産業の売り込みに懸命で、反原発デモの声を無視する。とてもじゃないが、国民の代表とは思えない。

 僕は日本というこの国が好きだ。大震災でも秩序を保ち続け、世界から称賛されたことを誇りに思える。だからこの国を好きでい続けるために、そして世界から称賛される国であるために、何が正しいかを判断できる国であって欲しいと思う。

 ではなにが正しいかとの判断の方法って何か。ひとつの方法として「未来永続できるものか」。あるいは「子供たちの明日にとって最善か。」ということではないかと思う。

 僕らはあまりにも現在の自分たちの満足のために、未来に「ツケ」を残してしまった。そして子供たちの幸せを望みながらも、子供たちに過酷な競争や、環境を押し付けている。そのことを考えると心が痛む。

 福島で起こったこと、それを反省し、繰り返さないために必要なことは何か。国民の生活を守るために「原発を再稼働する」というよりも、今ここで国民に少しの辛抱を与えても、「子供達の明日」を選択することが正しいことじゃないだろうか。そしたらおのずから答えは出てくるはずだ。

 僕自身のことながら、5月に雨がほとんど降らず、6月に入っても雨がしばらく降りそうもなかったので、みかんに水をやるべきかと心配していたのだが、今年も梅雨がやってきて、雨を降らしてくれている。大雨の影響で被害もありはするが、自然の営み。ありがたく思う。

 日本人とはこの豊かな自然に恵まれると同時に、自然の災害の恐ろしさも知ると同時に、受け入れる力を養っている。けれども人工による災害が起こった時には、なくなるよう拒否してきた。原爆にしても、公害にしろそう。薬害エイズのようなものも二度と怒らないでと思う。だから原発も当然ながらもうこのような事故は起こらないでと思う。

 地震がつきもののこの国。ましてや大きな地震の到来がいわれるづけるこの頃。原発事故が二度と起こらないようにするためには、もう動かさず、なくしてしまうことしかない。