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 どれもお金にはなりはしないけれど、やる価値はある。

 僕のやりたいことのひとつは新しい価値を生み出すこと。あるいは再発見すること。

 大人になるとお金に換えられることが価値あるものの如くに動いているけれど、ホントはそれだけじゃないものが山ほどある。

 海が少しでもきれいになること…。とっても価値あることだと思う。

 介護が人任せになった今、じいちゃん、ばあちゃんを風呂に入れてやる。これまた価値あること。

 売り先もほとんどないけれど、無農薬みかんの栽培に、その環境としてなるべく石油製品類、ガラス類のないこと。(微生物いっぱい&はだしでも大丈夫な畑づくり。ヘビはいるけどね。毒は持ってないから。)

 稼ぐとは、元々、お金などを得ることが主ではなく、仕事に励むことを表した。あるいは、つむいだ糸を「かせ」という道具に巻くことを「かせぐ」という。かせは休みなく動いて見えることから、かせのように仕事に励むことを「かせぐ」といった。また、稼ぐの「かせ」は「かせ(日迫)」の意で、昼夜に迫り、泊るところを知らないことを言ったとする説もある。とのこと。(クリエイティブ・コミュニティ・デザインより)

 ということで、仕事に励むことは稼ぐことであり、僕にとってはその中からどのような価値を生み出すかが、「稼ぐ」ことの主題となる。

 最近思っていることのひとつに、お金には変えられないけれど、どれだけ豊かな価値を生み出すか。あるいは豊かな価値を見つけ出す(掘り起こすか。)ということに、すごく関心を持っている。

 それをたくさん増やしていけば、俗に中山間地域と呼ばれるところは、誰もが豊かな地であることを理解できるのではないかと思うのだ。ホントは中山間地域には豊かさがあふれている。けれどもそれらの多くが(一見すると)お金にならないものなので、誰もが忘れ去ってしまっている。

 稼ぐのはお金ばかりじゃない。「豊かさ」を稼ぐのだ。もちろん今の社会で生きてくためにはお金も必要だ。けれどもそこばかりに固執してしまうと、あまりにもちっぽけな世界に固まってしまう。

 だから、稼ぐぞ!働いて「新たな価値」に「豊かな価値」をいっぱい稼いでやる。そしてそれをいろいろな人に見せるんだ。そしてそのうちの何人かでも新たな価値観に気付いてくれたならば、これ以上なことはない。

 豊かさとはモノを持っていることばかりではない。それを感じられること。そしてそれは見えることばかりじゃない。見えないものの気付くともっともっともっと、そしてずっとずっとずーっと豊かになる!