僕は現在週4日職場に行き働くというスタイルを取っている。そしてその4日間もほぼ僕の好きなように使わせてもらっている。時には車を走らせ、1日中外に出て里山風景に囲まれたところにいることもあり、また人と会い、話をしていることもある。

 そしていつもどうすればこの世間一般では課題だらけといわれる地域が、実はとてつもなく豊かな地であり、誇りと喜びを持って生きていける場所であることをそこに住んでいる人々に気がついてもらえるのかを考えている。

 またオフィスでは周りの人達が永遠とPCを相手に時間に追われている中、ゆっくりと上記のことを考え、理論にし、計画・実践していくかという案を練っている。それなりにゆとりを持って、時には手持ち無沙汰になることもあり、周りの人に申し訳ないなと思いつつも、臨時職員ということもあるし…、ということで、そこは気を使いつつも、そこでの1日を過ごさせてもらっている。

 そのため今では特に残業することもなく、ほぼ定時に職場を出て家に帰り、それから散歩したり、本を読んだり、勉強したり、今後の計画を立てたりと、わりと時間に余裕を持って過ごすことができている。それでももっと自分の時間が欲しいなと思うぐらいであるのだが・・・。

 職場へ行かなくてよい3日間は、みかん畑の世話をしたり、祖父母の入浴介助をしたり、お気に入りの海辺に行き空き缶ペットボトル拾いをしたり、NPO活動に参加したりと、これまたかなり僕の思うままに過ごさせてもらっている。

 まあその分お金(収入)には程遠い世界ではあるけれども、それ以上の価値は得ていると常々思っているので満足していると言っていいのだろう。今日も職場に行かなくてよい日であり、朝起きてから、瞑想をし、部屋の掃除をし、本を読み、再び瞑想をして、今このPCをいじっているところである。

 瞑想をしている際にふと思ったことがある。ひとつは瞑想ができるということはとても素晴らしい環境にあるということ。多くの人が日々の仕事に追われ、自分自身を振り返ることもできない中で、こうしてじっくりと自分自身を振り返ったり、無になったりできることはとても贅沢なこと。この豊かな時間を持てることは何とありがたいことだろう。

 そしてもうひとつは、今の僕の生活は、ある意味僕自身が描いた理想的な生活をしており、これはひとつの頂上ではないかということ。今の職を得る前に僕が望んだことは祖父母の入浴介助をすること、みかん作りをするために、週4日ぐらいの仕事を得たいと思った。そしてできることならば大好きな故郷のためになる仕事をしたいと思った。そしたら今その通りの仕事をしている。まさに意識が現実を創造しているがごとくの生活なのだが、このままこの世界に甘んじていてよいのかな?とも思った。

 今の社会は持続不可能な世界だから持続可能な世界に変えたい。まちなかロハスな生活がしたい。地球と人が共生・共発展していける世界をつくりたい。できることならば僕自身で切り拓いていくという感覚が欲しい。なんてことを思っている自分がここにいる。

 これは次なる頂上を目指しなさいってことなんじゃないだろうか。今僕がひとつの山の頂上にいて、そこからの眺めを存分に楽しんでいるとしたら、このまま飽きるまで、この眺めを楽しむのもよいのだろう。きっと飽きることなく楽しめる風景なのだから、このままここで年を取っていくという選択肢もある。けれどもひとつの頂上には来たけれど、そこからまた道がある。それはまた更なる高い山の頂上へと続いているんだな、これがまた。

 かつて勝手に修剣道と称して朝から夕暮れまで1日中山の中を駆け巡っていたことがある。その時はひとつの山の頂にたどり着くと、その場で般若心経を唱えて、すぐに次の峰に向かうということをしていた。今ではそのような体力もすっかり失せてしまったけれども、なんだかその頃の気持がうずいているようだ。

 こりゃ、きっと次の峰に行くしかないということだな。

 今の職場の契約満了まで4カ月半。もともと2年間の契約。それまでに今の職場で僕ができる最高のモノを残して、&それまでに次なる頂へ踏み出す準備をしっかりして…、行くしかないな。

 僕なりの豊かな人生を歩んで行くためには動くしかないということだ。

 「意識が現実を創造する。」

 ならば次なる現実を創造するしかないか。