建築物を見る。これは僕の趣味のひとつ。それも超有名ミーハーどころの建築家の作品を見ること。

 安藤忠雄、磯崎新、丹下健三、黒川紀章…。時に彼らの作品を見てはイマジネーションが刺激される。建築だけでなく彼らの出版物にも大いに勉強となる。中でも黒川紀章の「共生の思想」はマイバイブルのひとつだ。

 ただ、最近は現代建築物から古民家に興味の対象が移っており、古民家あるいは古民家群の持つ雰囲気の方がお気に入り。

 有名どころコンクリ近代建築物はインスピレーションは大いに刺激されるが、コンクリの持つ冷たさはどうしてもぬぐえない。一方古民家には木のぬくもりが感じられるし、自然との知恵が詰まっている。庄屋さん級のお金持ちが建てた家となると細部の芸術も楽しめる。ということで最近は古民家に軍配があがる。

 ところでこの建築物は建築家と呼ばれる人達によって設計される。先日「コミュニティデザインの時代」山崎亮著(中公新書)を読んだのだが、今この建築家たちのスターへのすごろく(過程)が大いに変わろうとしているらしい。

 というのが、建築家のスタートは親せきや友人のツテをたよって住宅を設計している人を何とか見つけ出し、住宅を設計する。そして出来上がった「作品」を美しく撮影して、建築雑誌に送付する。それが認められ雑誌に掲載されれば、次の仕事が舞い込みやすくなり、個人住宅を何件か設計した後、集合住宅の設計、商業ビル、オフィスビルの設計と進んでいく。更に進めば公共施設の設計依頼がやってくる。小さな公民館でも公園のトイレでも設計できるとちょっとしたステータスとなる。そして更に進めば図書館、市役所、博物館を設計し、最終的には美術館を設計するようになり、「巨匠」と呼ばれることとなる。

 ところが2006年の国土交通白書によると、2020年には社会資本整備の「新設」に関わる費用はほとんどなくなっているそうだ。つまり、図書館や博物館や美術館を新しく建設するための費用はなくなるということだ。公共の事業費がどんどんなくなっている。

 ということは建築家達の「巨匠」と呼ばれるこれまでの道がなくなってしまうということだ。途中で途切れゴールがなくなってしまったすごろく。さてどうする建築家のひとたち・・・。アジアに飛んで勝負するか?

 先日ニュースで2020年に東京オリンピックが開催されるならば、国立競技場を改修した際のデザインが出ていた。その姿はUFOをイメージさせるような近未来型だった。

 建築家にとってはいかに人々に驚きと同時に未来をワクワクさせるか、その創造性を持ってアピールするのことが夢なのだろう。(もちろんそこには使い勝手・利便性も要求されるだろうけど。)

 しかしながらその夢の可能性がほとんどなくなっていく。では建築家たちは彼らの持つその創造性をどこで発揮していくか。山崎亮さんはそれをコミュニティデザインというコミュニティの再生・再構築で発揮し始めた。(山崎さんは建築ではなくランドスケープデザインであるけれど。)

 僕にはよくわからないが、建築家の持つ知識とは耐震構造を始めかなりのものだろう。そしてそこにはデザインなどの創造性も要求される。ということはかなりの才能をもった人達だ。そしたらその知識や創造性をもっと別の形で社会に役立ててもらえないだろうか。

 もちろんそこにはUターンも要求されれば、新たな知識の獲得も要求されるだろう。楽じゃない。でも今の不確実な社会の中で、これまでの知識でぬくぬくとやっていこうとすること自体が間違えなのだから、少しでも新たな世界へ飛び込む勇気は必要だろう。

 それとも新規の公共建築物の事業費がなくなることは、行政の失策だと、行政に迫り、人件費削減してその分で、図書館や児童館を建築しろと要求しようか。でも確実に時代はハードからソフトへと移っている。

 近所に建築士と呼ばれる人達がたくさんいる建築事務所がある。いつも夜遅くまで電気がついている。彼らは住宅を専門に日夜仕事に励んでいる。家族の夢を叶えるのもそれも喜びだろう。

 けれども2015年からは世帯数も減少へと向かう。当然ながら住宅の着工数も減っていくだろう。ならば社会のためにと、一発奮起してくれる人達がもっと現れてくれたならば、そしたらもう少し社会が力強くなっていくだろう。

 ということで、建築家のみなさん今後は建物の建設から社会の建設に携わってください。建築物の新規物件はどんどん減っていきますが、社会課題の新規物件はどんどん増えてます。山積みです。意識と目的を変えてください。そしてその知識創造力を活かしてください。

よろしくお願いしま~す。