僕は昔から権力というものがきらいだ。だから権力には近寄りたくないと思っていたし、今もなるべく近づかないようにしている。もちろん僕自身も持っていない。ただ、仕事で主任とか、管理者としてもったことはあるけれど、基本はそんなものいらないと思っている。

 何故かな?

 いつもテレビのニュースで権力者の横暴を見せられているからかな。政治の世界を見るたびに気分が悪くな。それも大いにある。それとも前世に何かあったのかな?それもあり得る・・・。でも体が受け付けないというのが一番の答えかな。


 でもこの「権力嫌い」に関する考えが以前と比べて、少し緩和していることもある。

 もう何年も前のことになるのだけれど、毎日のように「権力なんて大嫌いだ。糞喰らえ!」って思っていたことがある。よく覚えてはないのだが、仕事に関してそう思っていたのだろう。

 よっぽど上司が嫌いだったのか?というと、そんな訳でもない。どちらかといえば、一部を除いて上司には恵まれてきた方だと思うし、例え嫌いな上司であっても、最後にはその人に認めさせてきたという自負がある。

 それでも権力というものが嫌いで、「俺は権力なんて持たないぞ。」ってつぶやいていた。

 ある時オヤジの墓参りに行った。般若心経を唱えた後、いつもオヤジに話しかけるのだが、その時も「俺は権力が大嫌いだ。権力なんて糞喰らえだ!」ってことを話した。すると話し終え帰ろうとした時に、ポンって心の中に言葉が飛び込んできた。

 「権力とは自分のために使うものではない。他人(ひと)のために使うものだ。」

 ビックリした。急に言葉が降って来たのだから。でもそれと同時に「そうや!」って思った。

 そうだ。権力とは他人のために使うものなのだ。権力を自分のために使うとそれは「自分の欲望」を満たすための道具や力(フォース)となってしまう。けれども権力を他人のために使うならば、それは他者を幸福へと導く道具にもなれば力(パワー)ともなる。

 要は権力の使い方なのだ。

 オヤジいいこと教えてくれるじゃん!

 このことが分かってからは「権力」に対してある一定の部分で許容できるようなった。


 歴史の中で善政を敷いた「賢人」といわれる政治家がいる。きっと彼らは自分が持った権力を「他人のため」に行使したのだろう。それによって人々は幸せとなり、国が栄えた。そしてその彼は「賢人」あるいは「徳のある人」として讃えられた。

 残念ながら今の政治家には「他人(ひと)のため」に権力を行使する人がいない。他人の部分が「自分」や「アメリカ」という言葉になっている。あるいは権力が更なる権力という、欲望のためとなってしまっている。

 というわけで僕は権力が嫌いなのだが、それを他人のために使うものであるならば認めている。

 でも基本的には近寄らないし、近寄りたくない。きっとこれまでに他人(ひと)のために使っていると心底思える人に出会ってないのだろう。寂しい限りだ・・・。

 ふと気がつけば職場の中は権力大国のようなもの。縦割り社会で周りはみんな権力の肩書きだらけ・・・。僕の名刺にも何やらわけのわからない肩書きが・・・。でも僕の肩書きは権力とは関係ない「ちょっとなんか難しそうな、なんじゃこれ?」ってものになっているので救われている(?)


 みなさん「権力」とは他人(ひと)のために使うものなのです。そしたら社会は幸せになっていきます。&やがては権力などいらない社会ができてきます。

 社名と肩書きをのけたらあなたは何が残りますか?

 自由に生きること。その中に権力も肩書きも何もいらない。ただただ自然に和すること。

 共生社会を生きること。




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~