スローライフを始めてはや1ケ月。この間の一番の変化は朝(食)。ほぼ毎日朝食をゆっくり食べられること。そしてこの時間がとても素敵であること。ご飯が炊きあがるまでに神棚の参拝をし、瞑想も行い、気分をスッキリさせる。

 そして日本の名水100選の水で炊いたご飯を味わう。煮干しや昆布でだしを取ったお味噌汁を味わいながら頂く。最高です。食前あるいは食後にゆっくりと紅茶を飲む時間はとっても優雅。これまでの生活で朝食がいかにただ食べるだけの機械的なものだったのかとつくづく思う。

 4月の初めに岡山に行き、ホテルで1泊したのだが、朝食バイキングでレストランに行った時、そこには一人の男性、ひと組の(老)夫婦がいた。そして僕が朝食を食べ始めた時に、1人女性がやってきた。

 その日僕は特別な予定もなかったので、ゆっくりと朝食を食べていたのだけれど、男性客はすぐに食事を終えたのは当然ながら、夫婦の人も僕とほぼ同じぐらいに来たのに、さっさと食べ終えて部屋に戻っていった。そして後から来た女性も僕がまだ食べ終える前に、食べ終え戻っていった。

 夫婦はそんな特別な用事もなさそうなのだからゆっくりすればいいのに…。後から来た女性は服装からしてきっと出張で来ているのだろうけど、もっとゆっくり食べればいいのに…、と思ったのだが、これがきっと今の世の中の標準スタイルなのかもしれない。

 忙しい現代。現代科学はその処理スピードをどんどん上げていき、みんな楽になるかと思えば、人々のライフスタイルもそれと比例するかの如くに速度を速めていった。そしていつの間にか大切なものを忘れてしまった…。

 ホントは食事は楽しいもの。神聖なもの。命を頂く行為。だから「頂きます」と言うし、祈りを捧げるところさえある。それがドラマのごとくパンをかじりって家を飛び出し、昼はファストフードで駆け込む。(前の職場なんかみんな机に向かって黙々かつ早食い)。夜のみゆっくり?あるいはテレビとともに…。そのどこにもありがたさも感謝もない。

 イタリアのスローフードの考え方が取り上げられるようになって久しい。ゆっくり楽しみながら食べる。1日の締めくくりの時間を楽しく過ごす。食材がオーガニックなものならばこれ以上のことはない。(自分たちでつくるというプロセスさえも愉しむことができたならば最高!)

 僕はまだそこまでは行えていないけれどそうありたい。でもこのところ食事のあとは自家製豆乳ヨーグルトにヘンプシードをかけ、黒糖をふりかけ頂くようにしている。お陰さまで快調。快腸。

 いつまで続けられるのか。あと1ケ月、3ヶ月…。それとも一生?これも意識次第? けれども例え再び勤め人となってもシンプルかつスローな生活は続けたい。(まだしばらくはソフトな奴隷となるつもりはないけれど…。前のところで懲りた!)

 まちなかロハス。まちの中で生活しながら、健康で持続可能な生活スタイルの確立。これが僕の課題のひとつ。今ロハスな生活というと、田舎に行って行うものというのが一般的だけれども、まちの中でもそれができるならば、きっと人々の意識の変化が起こるハズ!そしたら社会は変わる!

 そんなことを夢見ながら、今日もそのデザインを考える。ゆっくり紅茶でも飲みながら…。論文でも書くか!