高齢者福祉の仕事を卒業し、地域づくりの仕事についた。そしてその仕事も契約が終了となり、只今フリーな状態。

 地域づくりの仕事は「税金」での仕事だったため、2年間で貯金した100万円をそのままにしておく気にもなれず、自分がどれだけ社会に影響を与えることができるかということをやってみようということで、そのための費用とした(生活費も含む。)。そして以前関わった町でみんなでイベントを開催することとした。

 そしてイベントにはその地域の多くの人々も手弁当でスタッフとして参加してもらい、少しは影響を与えることができたのではないかなと思う。けれどもそれだけだった?(今後その地域の人がどのように活動してくれるかによる…。)

 ホントはその地域にすむ人々にその地域の豊かさを伝えたかった。というよりも再確認してもらいたかった。そしてその豊かさとともにあることを誇りに思い、できることならばそれを外に向けて発信してもらいたいと思った。

 けれども、果たしてそれができたかというと…疑問だ。

 21世紀の日本とは「自然と共にある」ということだと思う。そしてそれがまずできるのは自然のある地域。都会じゃできない。ある程度の人口がおり、さまざまな大手のチェーン店やら商業店舗があるところでは時間がかかる。もちろん工業地域なんて論外。なぜならそのようなところは経済至上主義にどっぷりとつかってしまっているから。

 正直日本中が経済至上主義に浸かってしまってはいるけれど、まだ地方のまた地方ではその中に今でも自然がたっぷり残っており、人の気質も昔ながらのものがある。そんな中にこそ21世紀前半の基盤となるヒントはあると思うのだ。

 20世紀を振り返れば、人間は欲望のままにひたすら自然を破壊してきた。かつての豊かさをもたらした自然はコンクリートに塗り固められてしまい、今やその無残な姿は見るに堪えない。都会はコンクリートジャングル。今では地方都市でもそう。

 確かに便利になった。どこへでも行けるようになった。かつては不治の病と言われたものも治るようになった。寿命も延びた。けれども僕らは何か大切なものを失ってしまった。でなきゃ、年間3万人の自殺者、うつ病患者104万人(2008年)、引きこもり数160万人(2005年。準引きこもりを含めると300万人)などという数字が出てくるはずがない。

  20世紀の人間の過ちは経済の面でいえば、第一に意識的に貧欲と嫉妬心をあおり、法外な欲望を解き放ってしまったこと。(E・F・シューマッハー「スモール イズ ビューティフル」) その結果として上のような数字が出てきたのではないだろうか。

 今すべきことは自然と共にあること。地球(自然もっと言えば地域)の循環機能の中にあること。それは地球や自然のお陰で人間は生きていることを認識すること。今の欲望のままでは人間は持続不可能であること。

 と、ざっとそんなことを伝えていきたいなんて思っているのだけれど、一体どうすればいいのか分からない。これって仕事となるのものか。どうすれば仕事とできるものか…。

 誰かのツテを頼ろうにも、友達いないし…。(やっぱ人間関係が大切。けど人とうまくやってけない僕には無理。話すのも苦手だし…。)

 残る金額は50万円を切った。さてこれからどうする?ハローワークで仕事を見つけるか?そして組織に属してソフトな奴隷となるか…。儲けようなんて思わない、とりあえず生活していけるだけのお金があれば…。それと心豊かでありたい。

 好きなこと、楽しいことを仕事にしたいというこの気持ち。そして今そこにある現実。現実と希望のはざまで揺れ動く今日この頃。

 神様はどのように導いてくださるのか。大人しく働きなさいというか、それともまた何ならかの役目を与えてくださるか。

 静かに座り心を落ち着ければ、地球と共生・共発展できるようなことがしたいと思う。けれども現実を見ればどうやって生活していこうと思う。要は捨てきれてないんだな。

 「道心の中に衣食あり。衣食の中に道心なし。」

 言うは易し、行うは難し。

 迷い迷う今日この頃。心が弱い!

 けれどもここはやはり「意識が現実を創造する。」。その中心をしっかりと取っていたい。