お金は欲しいと思います。けれどもお金にこだわりすぎて強欲人間にはなりたくないと思います。そこそこの生活ができるだけで充分です。最近つくづく思うことは、「知足」(の心)があれば、それほどお金など重要でなくなるということです。そうなるとお金による支配〈呪縛〉から逃れられ、自由になれるということです。

逝きし世の面影」(渡辺京二 著 平凡社ライブラリー)という本を読んだのですが、江戸末期に日本に訪れた西洋人から日本の家屋を見てみると、家の中には何もない状態だったそうです。そして日本人ほど働かずに遊びが好きな民族はないと見えたそうです。けれども誰もが貧しいけれど幸せそうで、いつも笑っていたそうです。そして西洋人を見るとみんなぞろぞろと付いていき、何かの拍子にみんなで笑っていたそうです。

家の中には何もない。確かに庶民は質素な暮らしをしていたでしょうからあまりモノはなかったように思います。働かない? 日本人ほどよく働く民族っていないのではなかったのでしょうか?けれども現在博物館に行けば、僕らは江戸時代の工芸品を見てその技術や芸術性の素晴らしさに感嘆する。

遊び好き? 貧しそう? お祭り好きであったり、俳句や短歌などの歌詠みを考えると今も昔も遊び=楽しむことの好きな民族なのでしょう。一揆がおきるぐらいですから農民の貧しさはイメージできます。けれども当時寺子屋等が発達し、日本人の識字率は高かったのです。士農工商という身分制度・階級社会ではありましたが、どの階級でも学びの機会は平等に与えられており、実際寺子屋では年齢を聞かない、身分を聞かない、階級を聞かないという暗黙のルールがあったそうです。

きっとその根本には「知足」があり、物には囚われずにいたのだと思うのです。けれども向学心や好奇心は旺盛で、祭や芸能などの大衆娯楽を楽しみ、心の豊かさが重視されていたのでしょう。そしてその機会は日常的に多々あったのです。そのお陰でそれほどお金や物がなくとも無理なく人生を楽しむだけの生活を送ることができたのでしょう。


一方で当時の西洋人の日誌には産業革命により、スピード社会となりストレスがたまり始めたということが書かれているのです。物による豊かさは得られたとしても既に心のゆとりは失われてきているということです。150年前にはすでに現代の兆候が見られていたわけです。

当時の西洋の豊かさとは貴族・資本階級にとってのものであり、それ以外は人間にあるまじき環境の中で暮らしていました。日本の武士階級の質素な暮らし、一般市民の貧しいながら幸福そうな暮らしとは根本的に違っていたのです。

そもそも貴族や資本家たちは奴隷や植民地という他者を支配下に置いたうえではじめてその生活基盤が成り立っており、誰かの犠牲がなければ成り立たない文化です。そして後の市民革命による民主主義が成立した後でも、それは民主主義という名の下で永遠と続いており、今やそれがエスカレートしていることは誰もが承知するところでしょう。


けれども時代は変わりつつあります。物質文明の行き詰まりと共に地球環境の危機が叫ばれ、人々の意識は変わりつつあります。更にはこれまでの搾取の仕組みが暴かれ始め人々は真実を知るようになってきました。

現在このような混沌とした時代だからこそもう一度「豊かさ」を考え直す時だと思うのです。何故江戸時代は誰もが貧しくとも幸せそうに見えたのでしょう。一方で現代社会は家にはさまざまなモノが溢れており、誰もが自分が気に入った衣類を身につけ暮らしているけれど、果たして満足しているのでしょうか。本当に幸福なのでしょうか?

そこで今こそ「知足」を学びませんか。「知足」のこころがあれば世界が変わって見えててきます。現代社会の行き過ぎが見えてきます。そして今本当は何が必要なのか見えてきます。僕らはこの200年の間に何を得て、何を失ってしまったのか見えてきます。それらを通じて心の豊かさを取り戻すことができるのです!

2013年の半分が終わろうとしています。旧体制が終わり21世紀の社会が見えてきます。手放せば、もっと暮らしが楽になるります。旧態にしがみつけば旧体制とともに崩れていきます。

さあ21世紀を創っていきましょう!大丈夫あなたはもう十分持ってます。