時々身に着ける白檀の御念珠。坊主頭に手首に御念珠姿。雰囲気もそのままで、一体どこのお坊さん?と思われがちだけど、至って本人は一般ピープルのつもり…。けれどもその御念珠は僕にとってはなくてはならない宝物。この御念珠があるからこそ今の自分があるんだな。

 振り返れば10年前。60ℓのバックパッカーをパンパンにして、誰が見ても「超重そう!」と思える荷物にテントを背負い四国を歩いていた。頭にバンダナを巻き、上のみ白装束。中途半端なお遍路姿で、88ヶ所寺およそ1200キロの道を来る日も来る日も歩いていた。

 はじめは恥ずかしがり屋のお遍路もどきで、寺に到着し本堂前で般若心経を唱えても、声を出すことができず、心の中でブツブツと…。お参りに来ていた人から「近頃のお遍路さんは声出して般若心経唱えんのやな。」なんて言われる始末。そんなシャイな素人お遍路が42日間のうちに徐々に変わっていき、最後は同じお遍路さんに有難がたがられ、さらには本職の僧侶から褒められるまでになってしまう。

 一体42日間にあのか弱いお遍路もどきに何が起こったのか?

 徳島の1番寺から歩き始めて最初に感謝したのが先達さん(※1)との出会い。その方がくれた歩き遍路の便利シート。そこには歩き遍路が泊まれる場所等様々な情報が1枚の用紙にまとめられており、その後の道中で大いに役立った。そして彼が体験したお遍路道中のことをいろいろと話してくれ、僕の中の不安を随分と和らげてくれた。
 
 初めは恥ずかしくて仕方のなかったお遍路姿も歩き続ける中で少しずつ、お遍路であることに慣れていき、段々それらしく歩いていくようになった。そして途中途中のお接待所でお茶やお菓子をいただいたり、善根宿(※)を使わせていただいたりした。また食堂で食事をした際には一品サービスしていただいたり、ある時には僕がテントをバックパックに乗っけているのを見て、軽トラを止め「ナベ持ってるでしょ?」と畑から摘んできた菜の花を大量にいただいたりもした。(←インスタントラーメンを買ってきてラーメンの具として頂いた。)

 88ヶ所のお寺は山の上にあることも多いのだが、山道をひたすら登っている時に、地元の軽トラのおばちゃんが僕が背負っているあまりにも重そうな荷物を見て、「乗っけていってあげようか?」と声をかけてくれ、僕は歩き続けることをモットーにしていたので断ると、「それじゃあ荷物だけでも、上まで運んであげようか?」といってもらった。ちなみにお遍路の途中からこの重たい荷物が僕の中では御大師様に変り、弘法さんも高野でずっと座禅を組んでいたのだから、脚も弱って歩くのも大変だろうと思い、空海さんを背負って歩いている気分となっていたので、荷物を運んでくれる申し出、あるいはお参りしてくる間(店に荷物を)置いておきなさいよという申し出も、(丁重に)お断りした。やっぱ空海さんも本堂までお参りしたいだろうからね。

 そして時には地元の人、あるいは車などでお遍路をしている人から「お接待させてください」とお金をいただいたりもした。時に福沢諭吉さんまでもいただいた。

 初めはいただいちゃったと嬉しく思っていただけなのだが、多くのお接待を受けるうちに、このお接待をしてくれる人々~親切に道案内をしてくれる人、お茶やお菓子をくれる人、宿を提供してくれる人、そしてお金をくれる人など~に対して感謝の気持ちで一杯となり、何かこの有難い行為を返さないといけないなと思い始めた。

 そんな時ひとりのお遍路歴の長そうな先達さんに出会った。その人は白いあごひげをはやし、片目が閉じた70歳ぐらいのいかにも…という感じの人であったのだが、目があったと同時に話しかけてきて、突然言い始めた。「途中、途中でお接待をもらったじゃろ。中にはお金をくれる人もいたろ。それはお前にくれたものじゃない。それは人々が(お前を弘法さんに見立て)お前に託したお金じゃ。中にはすぐに(好きなものを買って)使ってしまう奴も多くいるが、本来なら、半分はお参りの際にその人の分としてお賽銭箱に入れるぐらいの心がけが必要じゃ。お接待という行為をよく考えろ。」といって去って行った。

 一瞬「あの人は何だったんだろう?」と思いもしたが、言われたことも「確かにその通り」と思い、長老の言った通りにしようと思ったのだが、心のせこさが働き、「半分もお賽銭箱に入れるのはもったいないなあ。3分の1をお賽銭に入れて、残りは取っておこう。いくらかは使わせてもらって…。」と考えるようになった。

 そして再びお遍路道を歩いていく中で、テントで泊まっていると、おにぎりを作ってもってきてくれたり、お風呂屋さんがお休みの日なのに、シャワーだけでもとボイラーを沸かしてくれたりと、その後もいろいろなお接待を受けているうちに、感謝の気持ちとこのお礼を何とか返したいという気持がどんどんと強くなっていった。「なんとか返さなくっちゃ。」「絶対返したい。」「直接本人には返せないけれど、間接的にでも、今の僕にできることは…高齢者介護…」などと考えながら歩き、そして思いついたのが、

 「この気持ちを忘れないために、いただいたお金で(数珠か)何か記念となるものを買おう。そしてそれを見たら当時の気持ちを思い出せるようにしよう!できればお遍路歩きを成就させたときに買おう。」ということ。

 ということで、いただいたお金は使わずに歩き続け、山を駆け上り、88か所最後の大窪寺へ。本堂、大師堂でのお参りを済ませ、晴れて成就を果たし、すがすがしい気分でいると、お参りにきた方から一緒に写真を撮らせてといわれ、気持ちよくそれに笑顔で応じた。そして見渡せばそこにはお店があり、手ごろな御念珠があった…。

 その念珠はその後の寺修行の時にはずっと身に着けていたのだが、いつの間にか引き出しの中にしまわれてしまい、月日が過ぎていく。その間忘れていたわけじゃない。僕なりに高齢者の分野で働いて、入居者のためにがんばって…、それなりに社会貢献した。

 ある時再びその念珠をしまわれていた引き出しから取り出して瞑想用に飾っていたのだが、一昨年ぐらい前から再び時々(ここぞという肝心な時には)身に着けるようになり、最近はしょっちゅう身に着けるようになっている。

 その念珠には薬師三尊が彫られており、薬師如来を真ん中に日光菩薩、月光菩薩が両脇を固めている。薬師如来とは薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる(ウィキペディアより)。そして日光菩薩は正式名称を「日光返照菩薩」といい、一千の光明を発して世の中全てを照らし出し、苦しみの根源となる闇を消滅させるとされる。月光菩薩は正式名称を「月光返照菩薩」といい、月の光を象徴して薬師如来の教えを守る役割を担うとされる(key:雑学辞典より)。

 その最強念珠を見ては思う。この念珠が守ってくれている!。この御念珠は心を落ち着かせ、力を与えてくれる。そして今ようやく僕なりに(お遍路時代に受けたお接待という『恩』を)社会へと返せるときがやって来た!

 そんな中でもちろん時には嫌だなと思える人にも出会う。理不尽なことを言っている人にも出会う。けれどもそんな時には数か月前に知った「人間はあらゆる醜さを持つけれど花よりも美しい。」という言葉を思い出す。この言葉を知ってからは、例え人から嫌なことを受けたとしても割と早くに気持ちを切り替えることができる。プラス手首につけている御念珠を見ればその効果は倍増。Wパワー。そしてそこにあるのは感謝。たとえ(というか、しょっちゅう)忘れても、忘れても思い出した時には感謝する。

 ということで、社会に返さないとね。社会の変化は速くなる一方。そしてその流れについていけない人は増えてく一方だろう。けれどもこんな時代だからこそ僕にもできることがある。ワクワクする想いと一緒に、念珠を身に着け、言葉を発し、未来を切り拓く力を与えてもらう。

 意識が現実を創造する。目の前に現れている世界は「どうなっているのだ!」ということもあるけれど、自分自身が思った通りの世界が展開されている。念珠と言葉をもってして、意識を進化させなければ!

 扉は開かれた!



先達…お遍路の先輩
善根宿…お遍路さんを無料で泊めてくれる場所




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~