みかんの花咲く季節がやって来た。我がみかん(いよかん)畑も花いっぱい!と言いたいところだが、今年は花がほとんどない。まあ枯れ木に花は咲かないか…。特に僕が剪定した木には花がない。新緑の葉っぱだけが伸びている。やはり腹を立てたり、文句を言ったりしながらの剪定ではみかんは応えてくれない。

 しかし、わずかながら白い花がチラホラ咲いており、その花からは甘い蜜の香りがする。そしてその匂いに誘われてミツバチはどこからともなく集まってくる。みかんの花咲く季節。この甘い香りで思い出されるのは去年の出来事。

 去年の今頃夕方から夜にかけ時々近所を散歩していた。僕が子供のころは一面の田んぼが広がっていたこの地域も、今では住宅街となり家だらけ。子どものころの思い出は、田んぼが埋め立てられて、その形跡が無くなると同時に消失していく。そんな寂しさをも抱えた散歩であるけれど毎回いろいろなことを考えながら歩いていた。ある日1時間近く歩いたのでそろそろ散歩を終え家に帰ろうと家に囲まれた道路を歩いていると、かすかに甘い香りが漂ってきた。そしてその香りはだんだん濃くなり何とも言えない気持ちになった。

 その匂いこそみかんの花の香りであり、我がみかん畑から香るみかんの花の香りだった。その香りの存在に改めて驚いた。そして思った。このみかんの香りが一体どれだけの人を癒していることだろうかと。そう考えるとこのみかん畑が無茶苦茶貴重なものと思えた。

 かつて子供のころ小中学校の通学路の途中には、ところどころにみかん畑があった。けれども今ではそのみかんの木は切られて宅地化され、家が立ち並んでいる。今では通学路の途中にみかん畑を見ることはない。唯一我がみかん畑のみだ。子ども達は毎日このみかん畑の前を通って学校へと向かう。その意味でもこの地域に残された我がみかん畑は貴重だ。

 けれども町はこの地域を市街化区域とし、畑や田んぼを宅地化とする方向で考えている。そのため税金は高くなっている。もしこれが農業区域ならばずっとその固定資産は安く済む。要するに行政は住宅街にあるみかん畑、あるいは田んぼの存在を否定しているわけだ。(税金高いのだから)早く売ってしまうか、もしくは宅地化してマンションでも建て人の住む場所にしなさいと…。

東京に住んでいた時には住宅街の中に時々農地があり、そこは緑地保存地区となっていた。きっと税の控除がなされていたのではないだろうか。そしてその小さな畑がどれだけ都会の中家だらけの空間にやわらぎを形成していたことか。有ると無いでは大違い。この町もその必要性を早く理解してほしい。

 このみかん畑の価値は売り上げにすればわずか10万円。人件費も出やしない。けれどもこの季節はこうして甘い香りを漂わせる。そして秋には虫の大合唱。やがてみかんは色づきオレンジ色の美しい光を放つ。一連の変化で多くの人が季節を感じることができていると思う。それとも人々はホームセンターに売られている色とりどりの花をプランターや小さな庭に植え、それを見ることで季節を感じるだけでいいのだろうか。

 僕にとってはとても愛おしいみかん畑。今年の花はわずかなれど、それでもここには様々な「いのち」が宿っている。そしてその「いのち」は季節と共に循環している。それを人々は無意識に感じる。ましてや今では無農薬のみかん畑。どれほどいのちの多様性があることか。その価値プライスレス!

 この貴重なみかん畑。じいちゃん、ばあちゃんからの贈り物。たくさんの思い出の詰まった場所。そして人々が季節を感じる場所。例え今年の収穫はわずかであっても守りたいと思う。

 なので大○建託の営業マンの方々、もう来ないでくださいな。



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