毎週火曜日の夜NHKで「サイレント・プア」と言うドラマが放送されている。深キョンこと深田恭子演じる社会福祉協議会(社協)のコミュニティーソーシャルワーカー(CSW)里見涼が、地域で課題を抱えている人(家族)を解決に導いていくドラマなのだが、聞くところによると大阪にある社協の実在の人物をモデルにしているらしい。

 先日ドラマのテーマは「30年間家に引きこもっている男性を立ち直させる」というものであった。町内会長を務める男性は元銀行マン。子どもは仕事で海外に行き活躍中と近所の人々からは噂されているが、実は大学受験に失敗してからずっと30年間家に閉じこもっている。町内会長も年を取り、息子も50になろうとしている。一体このままではどうなるのだろうと心配し、意を決して深キョンこと里見が(前回の放送で)立ち上げた引きこもり者を支援するコミュニティカフェを訪れ、息子のことを相談する。そして深キョンはその町内会長宅を訪ね…という内容だった。

 このドラマを見ていて僕はドキッとした。何だかその主人公が僕自身に重なって見えたのだ。僕がテレビにいるって思えた。僕は家に引きこもっているわけではない。外に出て働きもしている。(ただし都合上現在はほぼプー太郎、引きこもり状態に近いが…。) けれども僕はずっとひきこもっているんだと思った。

 確かに体は外に出ている。休みの日も家にいるのが嫌いなので外に出ることが多いため、もしかすると普通の人よりも家にいないかもしれない。これまで色々なところへ出かけ、いろいろなものに参加し、体験し、きっと人よりも多く遊んでいる。けれどもやはり引きこもりに思えた。何故なら僕の心はずっと引きこもり状態だったから。

 いつから僕は心をずっと閉じ込めてしまうようになったのだろう。振り返れば大学へ入ったころから…(?)。と言うことは約25年間ずっと閉じこもっていたことになる。途中何度もいろいろな人が僕の(心の)扉をノックしてくれた。けれども僕はそのノックに応えることはなかった。いや、正確に言えば応えようとしたのだが、いつも恐怖に駆られ、その時は扉を開けようとしなかった。そしてその人たちがいなくなるとようやく恐る恐る扉を開け、外を見る。当然のことながらそこにはもう誰もいなくなっており、今度はそれを嘆いていた。そんなことをずっとこれまで繰り返していた。その繰り返しでますます人におびえるようになり、最近では親兄弟に対しても完全に心を閉ざしていた。

 けれども僕はそのことにずっと気づかないでいた。いやもしかすると気づいていたのかもしれない。けれどもそれを直視するのが怖くて、気づかないふりをしていた。あるいは別のことを原因とし、そこをいじることはするが、本当のところからは目をそらし続けていた。

 「トラウマ」~心的外傷。僕の持つ他人への恐怖の感情。僕の過去の記憶をたどってみれば、最初は何気ない友達のひとことから始まっているような気がする。そこからどんどん積み重なり、遂には完全に心を閉じてしまって…。結局逃げ続けていたのだ。

 ドラマを見てようやく僕自身(の抱えるトラウマ)を直視しようと思った。そして抜け出そうと思った。25年間の引きこもりから一挙に抜け出すのは大変だろうけど、それでも外の空気が吸いたいと思った。

 そう思っているとちょうど1冊の本が届き、その本の中に次の言葉が書かれてあった。
逆に言うと、このタイミングでできれば見たくない過去のトラウマを直視して、それを総括し受け入れることができれば、すばらしいポテンシャルを活かして、格段に素晴らしい会社に変貌することができる…(中略)…本来の輝かしい力を堂々と使いこなすためには、敗戦というトラウマを私たち自身がしっかりと受け止めていく必要があるのです。」 舩井勝仁・はせくらみゆき著「チェンジマネー」(きれい・ねっと)

 少し話題の方向性は違うが、僕自身に言ってくれているような気がした。この25年間何もせずただただ引きこもっていたわけではない。方向性違いだが修行もしたぞ。それを考えると僕にも大きなポテンシャルがあるはずだ。この文章と同時にイマジナル細胞などと言う言葉も飛び込んできた。(←次回のブログで)

 25年間の心の引きこもりから「今こそ(心の)扉を開けなさい」とメッセージが降りてきているような気がする。

 ドラマでは深キョンが毎日(?)町内会長宅を訪問し、息子に優しくそして根気強く話をつづけ、遂には息子も部屋の扉を開け…という展開で、考えてみれば深キョンみたいな子にそんなことをされるという、なんとも羨ましい気がするのだが…。我が町にも社協はあるけど、そんな子いるのかな?先日社協を訪ねた時冷静に「いない。」って言われたっけ…。



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