ノリ・ハドル/きくちゆみ著「バタフライ もし地球が蝶になったら」(ハーモニクス出版)という本があるらしい。その本にはイモムシが蛹となり、そして蝶となるまでの過程を描いているそうなのだが、それは次のようらしい。(読んでないのだ!)

 イモムシが糸を吹き出し自分の身を包み蛹となる。そして蛹から蝶へと生まれ変わる。この一連の過程の中で何が起こっているのか。あのグネグネしたひとつの単純な生き物にしか見えないイモ虫が蛹となり、その蛹を破って色鮮やかな羽根を持ち大空を自由に飛ぶことのできる蝶となるまでに…。

 蛹の中で何が起こっているかと言うと、イモムシの体は一旦融けて液体化する。その液体の中にこれまでイモムシの体にはなかったイマジナル細胞と呼ばれる細胞が発生する。最初そのイマジナル細胞はごく少量であり、またこれまでの細胞とはかけ離れた波動のため、芋虫の免疫細胞に撃退されてしまう。けれどもそのイマジナル細胞はいくつも生まれ続け、遂には芋虫の免疫細胞を乗り越え増えてゆき、単独だった細胞が結合しグループを作る。その勢力はどんどん増していき連結し、同じ波動で響き合い新しい体へと変化することを悟る。そしてそれは全ての細胞にその波動がいきわたり、遂に蝶の体となる。そこからは誰もがこれまでに見たことのある、蛹を破り出てきた蝶となり、その羽を伸ばし乾かして、そして大空へと舞い上がる。

 前回僕は25年間の(精神的)引きこもりに気がついた。何度も多くの人がノックしてくれていたにも関わらず、傷つくのではないかいう小さな恐怖心の積み重なりが大きなトラウマとなり、その防御として更に頑丈な鍵をかけて世間に抗していた。けれどもその一方で心は救いを求め続け、引きこもりの部屋から外へ出たいという気持は常にあり、この状態から脱しようともがいていた。その気持ちやもがきこそ僕のイマジナル細胞ではなかっただろうか。

 けれども僕のもがき(イマジナル細胞)以上に、僕が鍵をかけた扉(免疫細胞)は頑丈で、いつもイマジナル細胞はあえなく撃退されてきた。トラウマに捕われ防御する自分。一方で外へ出たいという自分。その矛盾に僕はいつも悩み、やがてそれはストレスとなり、そのはけ口が見つからず、遂には何らかの形で爆発した。その爆発先は自分よりも弱いと思えるところへと向かう。いわゆる一種の精神疾患状態だ。

それが繰り返されること25年。25年かけて遂にイマジナル細胞は免疫細胞を乗り越えた。そして連結していくようになった。ようやく僕自身が抱える自己矛盾が受け入れられるようになってきた。僕の中にある黒と白が同時に受け止められるようになり始めた。そして全体的統合を目指そうと思うようになってきた。

 思えば、イモ虫の世界とは、1本の木の世界。ただ本能に従い、その木の葉っぱを食べまくる。例え別の木があることを認識することはあったとしても、その木に移ることはまずないだろう。そして敵を警戒しながらの生活を続け、身の危険を感じた時には、臭いにおいを放出したり、とげや毒でもって威嚇したりする。いわば非常に制限された中での弱肉強食の世界。

 けれども蝶となると世界が一変する。自らの羽でもって自由に飛び回り、花から花へと移っていく。その花も(受粉作用の担い手として)蝶に来てもらうために蜜を用意する。お互いがメリットを享受し、しかも生命を循環させていく。更には花の美しさ、蝶の美しさそれらがより一層世界を美しくする。相乗効果の共生世界。もちろん危険もあるのだろうが、イモムシの頃に比べると格段に自由度は高くなり、また他を傷つけることもはるかに少ない。

 僕は変わる。そして世界を変える。これまでの僕は小さな世界で指をくわえてみているだけだった。例え空を見ることがあってもそれ以上は何もしない存在だった。現状の世界に不平を言い、八つ当たりばかりしていた。けれどもこれからは大空を自由に飛び交い、共生し、循環させる世界の一員となる。イモムシから蛹となり、そして蝶となる時代が遂に僕にもやって来た!

 まあ、まだまだ殻を破って、羽を伸ばし乾かさなきゃいけないし、空を飛ぶのにも勇気が必要で…、しかも最初は飛び方もぎこちないかもしれないのだろう。それもまた通過儀礼ということで。



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