毎朝仏壇の前に座り読経するのが日課のひとつとなっています。先日いつものようにお経を唱えていると前方で時々ポツポツ音がします。梅雨前線と台風の影響で夜中にものすごい量の雨が降っていたので、もしかして雨もりかな?と思い天井を見上げてみたのですが、雨漏りしている形跡もありません。もしかしてゴキブリか何かが仏壇の食べ物をかじっているのかな?と思い、お経を唱えながら仏壇を注意してみたのですがが、そのような様子も見当たりません。

一体何の音なんだろう?

と思いながら、かつての修行時代のことを思い出していました。


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それはもう10年以上前のこととなるのですが、私は鹿児島県にある最福寺と言うお寺で1か月間修行させてもらったことがあります。ここは池口恵観法主さまが建てられたお寺なのですが、その護摩行の激しさは日本一であるとして有名です。


普通のお寺での護摩行は1回30分程度、長くて1時間程度だと思うのですが、この最福寺の護摩行は2時間(あるいはそれ以上?)の時間がかかるのです。護摩壇で火を焚くのですが、普通のお寺では炎の高さは1メートルから2メートルぐらいまでなのですが、ここ最福寺は2~3メートルの高さとなるのです。何といっても護摩壇にくべる檀木の太さが違います。普通のお寺だと割りばし程度の大きさなのですが、最福寺では幅4,5センチはあろうかという角木をくべるのです。更には人々が願いを書いた護摩木を燃やしていくのですが、その量が半端ではないのです。毎回何百枚何千枚と言う護摩木をくべるのです。


護摩行では護摩壇の前に恵観法主が座られます。その護摩壇の左右を弟子たちが並んで座るのですが、1列目に座る弟子たちはみな護摩壇にぴったりと膝がつくように正座をして座るのです。そのため顔や体の間近に2,3mの高さまであがる炎が来るようになります。そして行の間ひたすらその炎(の熱さ)に耐えるのです。


B0041(最福寺HPより)


行が始まると、理趣経を唱え、般若心経を唱え、そして不道明王様の真言、弁財天様の真言などを唱えていくのですが、理趣経を終え般若心経を唱えるころから段々と手や顔がジリジリと焼けてくるのです。理趣経も般若心経も大声で唱ます。真言を唱える時それはもう叫ぶように唱えるようになります。それは大きな声で唱えるよう言われていることもあるのですが、それ以上にその熱さや苦しさに耐えるためにひたすら大声で叫ぶのです。


初めてこの護摩行を受けた時は、私はその熱さに耐え切れず、後半から護摩壇そばの1列目から後列へと下げられてしまいました。そして2回目はあまりの熱さゆえに気が少し変になったのか、終盤狂ったように顔の汗を手で拭うようになり、法主さまの指示でまたまた弟子僧に引きずられながら下げられてしまいました。


そんな厳しい行を毎日受け、顔も手もやけどだらけとなり、眉毛は水ぶくれからかさぶたへと変わり、いつ眉毛ごと落っこち、眉毛がなくなってしまうのだろうかなど心配しつつ、一体この先どうなることかと思いながら日々の行に耐えていました。法衣も火の粉が飛んできて、焼けて穴がいっぱい開いてしまいました。時には火の粉の塊が法衣に落ち、燃え始め熱くてたまらなかったこともありました。さすがにその時は手で払いのけ火を消したのですが…。


B0021(最福寺HPより)


毎日死にそうな思いをしつつも護摩行を受けていたある日のことです。いつものように理趣経、般若心経を唱え、ちょうど弁財天様の真言を唱えていた時です。弁財天の真言は「おんそらそばていえい そわか」と言うのですが、それをひたすら叫んでいると、私の真言に合わせて叫ぶ声が聞こえてくるのです。もちろん周りにいる人たちと一緒に唱えているのですが、それらの声とは明らかに違うのです。


その声は頭上から聞こえてくるのです。しかもその声は弁財天様の真言の最後「そわか~」と言うところだけ、私と一緒に叫んでいるのです。一体誰の声だろう?と思いチラリと頭上を見上げてみるのですが、当然のことながらそこには誰もいません。けれどもやはり私の声に合わせ「そわか~」と大きな声で叫ぶ声がするのです。

うわっ!何なんだ?

とびっくりしつつも、そんなことを気にしている場合ではありません。正面には高さ3メートルの炎が目前にあり、すぐそばには法主さまがいる。気を取られている場合ではないのです。私はひたすらその声と一緒になって真言を叫びつづけたのです。


やがて弁財天様の真言を唱えるのが終わり、続いて様々な真言を唱えていきます。けれども私と一緒になって叫んでいた声は弁財天様の真言が終わると同時に聞こえなくなったのです。護摩壇の前には本尊の高さ20メートル近くある巨大な弁財天様の像があります。もしかして一緒に唱えてくださったのでしょうか?


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そんなことを思い出しながら、観音経、般若心経そしてご真言を唱え終え、朝の日課を終えました。それと同時に仏壇から時々聞こえてきたポツポツと言う音もしなくなりました。立ち上がり天井や仏壇の中を再度じっくり見てみたのですが、何もそれらしき形跡はありませんでした。

ん~???

目の前には小さいながら大日如来さまの仏像があります。その横には親父の位牌が置かれてあります。

ん~、親父かな?


ところでこの「そわか」とは、ネットで調べてみると、その意味は「幸あれ」、「祝福あれ」という意味だそうです。そうと分かると一緒に叫んでくれた人は私に「幸せあれ」、「祝福あれ」と叫んでいてくれたということになります。やはりあのときは本尊の弁財天様が「幸せあれ~」と叫んでくれていたのでしょうか。そうならば感謝以外のなにものでもありません。


(目には)見えませんが、私たちの目の前には無限の世界が広がっています。あなたもその世界にそろそろ気づきませんか?






らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~