さてみかん畑のみかんの木が半分ぐらい枯れている今日この頃。最近ではもう枯れるのは仕方がないと腹をくくったので、ただ「今日までありがとう」と言うだけとなっている。老木なのでやはり、長年の農薬・化成肥料から無農薬・無化学肥料へと突然の変化に耐えられなかったのだろうと思う(しかない)。

 まあ、それでも今年もみかん(いよかん)はできている。枯れそうな木には弱々しい小さなみかんがなり、踏ん張っている木には大きなみかんができている。

 ところで、かつてみかんの木に農薬散布を行っていた頃、道行く人のために看板に「みかんの木を消毒します」と書いていたのだが、今考えるとあれは果たして「消毒」だったのだろうかと思う。

 辞書で調べると、消毒とは「病原菌を殺すこと」と書かれてある。つまりそれは病気を防いだり、みかんの実が傷つかないように悪い虫(ミカンに傷つける虫)を防除したり(殺したり)することとなる。だから農薬の入った瓶のラベルを見ると「殺虫剤」と書かれていることもある。

 けれども、それによって農薬の悪い成分がみかんに浸透していって、それを食べていたとしたならば…。あるいはそれによって有用な虫や微生物までもが殺され、その分を補うために今度は化成肥料を投入して…、などと考えると、なんとなくゾ~ッとする。

 思い返せば、農薬と化成肥料を使用するのを止めたその年は、アブラムシが新芽に大量発生した。必死に駆除しようとしたが、無駄なあがきだった。アブラムシのクーロン作用でいくらでも増えた。けれども翌年以降アブラムシが大量発生することはなくなった。

 現在は時々木酢をかけ~正確に言うと木酢は農薬に分類されるが、クヌギの木からのもので自然物であるので気にしない~、あるいは乳酸菌液を撒く程度なのだが、それがどのような効果をもたらしているのか分からない。とにかく今言えるのは老木が枯れているということだけ。

 けれども今思う。あの消毒とは何だったのだろうかと。あれは消毒ではなく増毒であったのではないだろうかと。

 それを証明するのは、いつの日か化学物質過敏症の人が、(僕の)みかん畑でできたみかんを食べて「美味しい!」と笑顔になってくれた時である。

 それがいつ日のことなのか分からない。けれどもその日が来ると信じて僕はみかんを作る。いや土をつくる。いや僕がつくるんじゃない。ミミズや微生物、そして自然がつくるのだ。僕はそれをただ見守るだけ。だからこの先も消毒も増毒もしない。ただ信じて待つのみ。




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