今年は未年、「羊」の年です。羊というとどのようなイメージをされるのでしょうか。夏に羊の毛刈りと題して、毛を刈られすっかり細くなった羊、あるいはジンギスカンで出されるお肉で、食べると美味しい動物でしょうか?


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かつてオーストラリアでシープファームに数日間ファームステイしたことがあります。その時見た羊の印象は、私が近づくと固まって集団となった羊たちがじっと私を見ていたというものです。数多くの羊に見つめられるその視線が痛い!というほどです。とにかく臆病というか、人の動きをずっと、じっと見ていた(見つめられていた)という覚えがあります。


現在野生のヒツジの群れがいるのかどうか分かりませんが、いずれにしろ羊は群れをなして生きていく動物です。その群れにはやはりリーダーがいるらしく、リーダーは体が一番大きく、俊敏で力の強いものがなるそうです。まあ、これはどこの世界でも同じことといってもよく、羊も例外ではないということでしょう。

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ところで漢字の「美」=美しいという文字ですが、この「美=美しい」の語源を知っていますか? 一見すると宝石か花、あるいは若き女性のような何かとてもきれいなものからきているように思われます。けれども実はもっと奥深い世界があるのです。


「美」という漢字を分解すると、「羊」と「大」となります。ここで気づかれる人も多いかもしれませんが、「美」という文字は「羊」からきているのです。その語源を見てみると「肥えた羊」と書かれてあります。つまり「羊」と「大」の「大」とは肥えた(大きい)羊ということです。昔の人にとって肥えた羊は食べ応えがあって美味しいのでしょうか?それともその姿が「美しい」と思われたのでしょうか?

 
もしかすると「美味しい」と書くだけに、それも一理あるかもしれません。しかしそれだけでもないのです。肥えた、大きい羊とは、先ほども書きましたが、それは羊の群れのリーダーのことです。、群れの中で一番俊敏で力強い羊がリーダーとなります。それでも、一般に羊と言えば、「羊のようにおとなしい」と言われ、大人しいものの代名詞のように使われることから、いくらリーダーの羊といっても他の動物ほどには勇敢ではなさそうです。それにもかかわらず、あの臆病にも見える羊のリーダーが何故「美しい」とされるのでしょうか。


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実はそれはリーダーの特性にあるのです。野生の羊の群れは、肉食動物の餌になってしまいます。草食動物は肉食動物が襲ってきた時には走って逃げます。そして群れの一番弱いものが捕まり餌となります。けれども羊の場合は肉食動物に襲われたとき、そのリーダーが逃げ切れない羊の代わりに犠牲になるのだそうです。


もちろん、ただ食べられるために立っているのではなく、角を使って抵抗をしたり、相手を追い払ったりして、上手に逃げ切ったりもします。しかし場合によっては肉食動物の餌食になるそうなのです。そして例えその襲ってきた肉食動物を追い払うことができなくても、自分が犠牲になることで、子羊や年老いた羊など、速く走れない羊たちを逃がそうとするのだそうです。羊の群れのリーダーとは、いざという時にはそのような存在となるのです。


つまり自分を犠牲にしてでも、弱きもの、弱き仲間を守る羊の姿、その姿を古人は「美しい」ととらえ、この漢字ができあがったのです。


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人間のリーダーもこうあって欲しいものです。自分の損得を超えて他人の身になって思い、他人のために汗や涙を流す。尊敬しますし、何よりもその姿は美しく輝いて見えることでしょう。けれども実際のところは金と権力にモノを言わせ、人やメディア等を押さえつけてコントロールしようとする、自分の欲を満たそうとするリーダーがほとんどです。その姿は羊にも劣ります。(羊に申し訳ない…。)


一見するとおとなしく臆病そうな羊たちですが、そのリーダーには彼らなりの群れを守る流儀があるのです。そしてそこには本当の美しさが隠されていたのです。未年(羊)のこの1年。少しでも美しくなれるように努力をしたいものです。


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参考・引用:
小林正観「22世紀への伝言」(廣済堂出版)の「『美しい』人の本質は、人のためにどう動くかということ」






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