現代社会はストレス社会といわれます。誰もが大なり小なりのプレッシャーを感じ、ストレスを抱えながら暮らしています。中には栄華を誇る人もいますが、けれどもそれが永遠に続くわけでもなく、多くの者がその人の足を引っ張る機会を狙っているようにも思います。

そんな中人々はやすらぎを求め、何かにすがろうとします。ネコブームもそうなのでしょうが、中には宗教に走る人もいるでしょうし、あるいは占いにハマってしまう人もいます。現在空前のスピリチャルブームが続いているのもそれが理由のひとつではないでしょうか?そういう私もそのブームにハマっている1人です。

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瞑想(座禅)を始めてずいぶん経ちます。

私が初めて瞑想をしたのは、バックパッカー時代に訪れたカンボジアのバイロンです。別名アンコールトムとも呼ばれます。あの有名なアンコールワット寺院の近くにある遺跡(お寺?)です。それまで瞑想の「め」の字も知らなかったのですが、バイロンの中心に行くと突然座りたいと思い、周りに何人かいるにも関わらずその場で座り込み瞑想を始めたのです。

私がカンボジアを訪れた当時はまだポルポトが生きている頃であり、それほど観光客が現在のように訪れることもない頃でした。当時はバイロンの中で住んでいると思われる人もいて、また(そこに住んでいる?)子供が中を案内してくれたものです。きっと今では彼ら(彼女ら)は強制退去させられていないと思うし、おそらく今やバイロンも毎日観光客でごった返しているのではないかと思います。その為夜中や早朝に行くならまだしも、日中は決して瞑想などできる状態ではないことでしょう。そう考えると、私はバイロンで瞑想をした歴史的人物の1人かもしれません(自慢!)。

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そこで瞑想したから何かを得たということもないのですが、それでもそれがきっかけとなったのか、その後海外放浪を終えて日本に帰ってからすぐに福井県にある禅寺(曹洞宗)の総本山永平寺にまで行き、3日間の座禅研修を受けました。それから定期的に自室で座禅をするようになり、数年後に今度は広島にある禅寺道場の門をたたき、1週間の本格的な座禅修行を受け、禅三昧に浸りました。


そんなわけでバイロンでの瞑想以来ほぼ毎日続けているのですが、私の中では座禅といえば、最初は「悟りを開く」ということを目的にしていたのですが、残念ながら何年たっても悟りが開けることはなく、あいも変わらず煩悩にまみれたままです。その為今では「悟り」を開くためのものではなく、気持ちを落ち着ける、あるいは自分の心の中を見てみる時間ということを目的としています。時にはひらめきを得る時間ともしています。それゆえどちらかといえば坐禅というよりも瞑想といった方がよいと思います。

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さてその瞑想ですが、開始直後はザワザワと心はざわついているのですが、時間が経ち、うまく瞑想が深まってくると徐々に心が落ち着いて来て、シーンと静かな世界へと入っていきます。

それを例えていうならば、太平洋、インド洋、大西洋などの外洋と呼ばれる大海は、時に波高く、嵐の時など高さ30メートルの波となって大荒れの時もあります。けれどもその波の下は、潮流もあるものの、深さが増せば増すほど静かになっていきます。

心も外洋と同じでなのです。時に心の表面は荒れに荒れ、自分ではコントロール不可能のようになってしまうこともあります。けれども例えそのような状態であったとしても、心の奥底は、どんなに表面が荒れていようとも、深海のように物言わず、音もなし、動くこともない世界となっているのです。そこは目には見えない世界です。けれども限りなく奥深さを「感じられる」世界が続いているのです。

そして何よりもそこはとても穏やかで温かい場所なのです。まるで何かに包み込まれているようにも感じます。その暖かさはまるで静かに湧き出る泉のようであり、永遠に枯れることがないものと思われるのです。もしかするとそこは魂に通じているのかもしれません。そうでなくとも心の故郷じゃないかと思うのです。

その暖かさの中にいると私は確信できることがあります。それは私には帰る場所があるということです。だから例えどんなに嫌なこと辛いことがあっても、どんな状況にあっても「大丈夫!」と思えるのです。

この世の出来事はみな過ぎてしまったならば幻…。

そしてこの心の中の暖かさを見つけられた時には、「幸せ者だ!」と思えるのです。

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といってもそう簡単にいかないのも現実です。今や数多くの人々が心を病んでいます。太平洋の30m級の波が立っている時代といってもよいかもしれません。更に社会の波だけでなく心の波も荒立っている人も多いようです。プレッシャーやストレス、あるいは不安に飲み込まれてしまい、遂にはこころが壊れてしまう人も数多くいます。本当に難しい時代だと思います。


生きていくためにはある程度海面にも行かなければなりません。心の波が荒立つこともあります。けれども波の下深く、そのまた奥深くに行けば、そこは表面の世界と違い静かな世界が広がっています。その下の世界への行き方を知っておけば、自分自身を上手にコントロールできるのではないでしょうか。


阿字の子が、阿字の故郷たち出でて、また帰りくる阿字の故郷。

弘法大師空海が詠んだ詩です。このうたの奥深さは底知れぬものがありますが、瞑想もそれと同様、あるいはそれ以上の深さがあります。

だから、みんな大丈夫。みんな帰るところがあるんだよ!そう思うのです。






らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~