見えない世界があることを信じる人もいれば、信じない人もいることでしょう。魂の話しも、幽霊の話しも、すべて信じないという人も多く、逆にそのような話しをしようとすると変な目で見られることも多いのも事実です。けれども見えない世界を体験した人にとって、それは夢や幻ではなく、確かに存在する(もうひとつの)世界なのです。


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私が初めて見えない世界があるということを感じたのはタスマニアで遭難しかけた時のことでした。(その時のことは別の記事に書いてあるので、興味のある方はそちらをご覧ください。)二度目に別の世界があると感じたのは、それから67年後のことで老人病院(療養型病床群)と呼ばれていたところで働いていた時でした。今では老人病院という言葉はなくなりましたが、かつては脳梗塞などの後遺症により家に帰れなくなり、かといって老人ホームにも入れない高齢者たちが、社会的入院と称して、病院で暮らしていたことがあります。そのような行き場のない高齢者が暮らす病院を老人病院と呼んでいました。そこで働いていた時の出来事です。



その日私は夜勤だったのですが、夜間に患者さんの1人が亡くなられました。亡くなられた方がいらっしゃった時には、死後処置として、その方の体を拭き、着物を替え、口や鼻などに綿を入れ、死後の姿を整えます。(ちょうど映画の「おくりびと」のようなものです。)看護師さんと一緒にその方の最後のお世話をさせていただきました。そしてその後その方をご家族と共に霊安室までお連れしました。



患者さんが亡くなられた時というのは、何度経験しても悲しいものです。たとえその方が問題の多い患者さんだったとしても、その思い出が懐かしいものとして蘇ってきますし、あるいは例えその人が入院してから数日間だったとしても、その数日間の出来事が思い出されたりするのです。ましてや何カ月もお世話をさせて頂き、一緒に笑い合った患者さんなど、走馬灯のように思い出が蘇り、涙をこらえるのが精いっぱいです。お別れの時というものはいつも辛いものです。


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さて霊安室にその方をお連れしたと言っても、その方がそこに長時間いるわけではありません。お迎えの車がやって来るまでの数十分から数時間です。そこから家に帰る人、お寺に行く人、あるいは今ではそのまま葬儀場に行く人など様々なのですが、いずれにしろそこはお迎えが来るまでの一時的な場所にしかすぎません。そしてお迎えの車が来るとその方の最後のお見送りとして、その方に関わったできる限り多くの職員が1階へと降りていきます。私もその1人として最後のお顔を拝見し、お見送りするために降りていきました。



その患者さんは深夜に亡くなられ、6時過ぎの朝早くにお迎えの車がきました。その為お見送りする職員も数人だけでした。ご家族の方数名もその場にいらっしゃったのですが、その中におそらく曾孫さんらしき、まだ3歳になるかならないかの小さな子供が母親に抱かれていました。その子は曾婆ちゃんが亡くなったことなどきっとまだ分からないことでしょう。母親に抱かれながら、時折何かしゃべりながら笑顔で曾婆ちゃんの顔を見ていました。



運転手の方がその方をストレッチャー(台車)に乗せ換え、霊安室から車まで移動します。それに付き添って家族と職員も車まで移動します。車に到着し、運転手はその方をそのまま車に乗せられました。そして手を合わせて拝んでから振り返り、家族に向かい「ドアを閉めさせて頂きます。」といってドアを閉められました。


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ガチャッという音と共にドアが閉められた瞬間何だか世界が区切られたように感じられました。するとそれと同時に母親に抱かれていた小さな子供が突然泣き出したのです。ついさっきまで笑っていたその子が突然大きな声を上げて泣きはじめたのです。



「ああ、この子もきっと何かを感じたのだな」と思いました。この子はまだものごとを論理的には分からないけれど、直観ながらに曾婆ちゃんが亡くなり、もう会うことができなくなることが分かったのだなと思いました。その子と亡くなられた曾婆ちゃんがどれほど会って、話したことがあるのかは分かりません。けれども子どもながらに死を感じたのだと思いました。同時に、大人にはもう分からなくなってしまったけれど、子供には何か見える(感じられる)ものがあったのだ(あるんだ)と思ったのです。



子供の心は純粋です。その純粋な心であるから感じられる世界があります。もしかすると子供や動物などには見えたり感じたりする世界が当たり前のようにあり、(その純粋な心を失ってしまった)大人には見えない(忘れてしまった)世界があるのかもしれません。


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以上が、私が見えない世界があることを感じた二度目の出来事です。これと同じようなことが皆さんにもこれまでにあったのではないでしょうか? 私たちはあまりに見える世界にこだわり、そしてエゴに囚われるあまりに、いつしか子供の頃には見えたものが見えなくなってしまっています。それさえも忘れてしまっていると言ってもよいでしょう。けれどもそれを取り戻すことは不可能ではありません。意識と心がけ次第で取り戻すことが可能です。その為の努力をしてみませんか。きっとそこには新たな世界が広がります。






らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~