中学1年の時、社会の先生のあだ名は大ちゃんでした。大ちゃん先生は歴史の授業の際、生徒にその頃の状況がよく分かるようによく独り芝居をして当時の場面を再現していたのです。

「お~い、天気がいいから海に貝採りに行こや~!」

「お~い、今日は山に木の実採りに行かんか~?」

縄文時代の再現です。30年以上前の授業の様子が今も記憶に残っているのですから、いい先生だったのでしょう。(今はどうされているのでしょうか?)


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その芝居のせいか分かりませんが、縄文時代といえば、木の実を取りに行ったり、貝を採ったりと、その日の食べ物を野山に行って取ってくる、いわゆる狩猟採集の時代であり、そして堅穴式の住居に住んでおり、どちらかと言えば原始的生活を描いてしまいます。

縄文土器なども含め、彼らの生活全てにおいて原始的なものだと思っていました。おそらく現在も多くの人がそう思っているのではないでしょうか。

同時期アジア、ヨーロッパなどでは文明が栄え、善政が行われたり、哲学が追及されもしていたのに、日本は原始的なままで、随分と遅れていたのだなあ…などと思う人も多いことでしょう。私もそう思っていました。

ところが先日NHKの番組で、縄文時代の調査研究が進み、今や彼らの文化はこれまでの常識を覆し、世界的に見て独特であり、かつ最先端な生活であったことが明らかになり始めているそうです。


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(舞台は青森県にある三内丸山遺跡です。)縄文時代は今から15千年前から始まり、弥生時代まで1万年以上続く「持続可能」な社会を形成していたことが明らかになって来たのです。

これは世界各国(ヨーロッパ、アジア、中国)の文明がどれも長くて数百年の国家であり、常に争いが繰り返されるという歴史であったのに対して驚異的な長さです。

その生活様式は狩猟採集を基本としながらも、その地に定住する独特のものであったのです。


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世界が麦畑のような農耕により文明を発達させていく一方で、そのような農耕を拒否し、代わりに栗の木を植え、春は山に山菜を採りに行き、夏は海に魚を取りに行き(干物にして保存)、秋には植えて育った栗の実などを集め、冬は動物を狩りその肉を食べ、毛皮を取るという生活を送っていたと考えられるのです。

その生活実態は、日本の自然と共生した大変豊かなものであり、文化的にも優れていたのです。

早くから土器がつくられていたのですが、それらはおそらく世界で初の土器であり、そしてあの縄文土器の独特の模様は、自然の精霊をかたどったものであり、自然への畏敬の念が込められたものだと思われるのです。

土器を作り、煮炊きし、翡翠を加工して着飾り、更には漆を使うという文化を早くから発達させたのです。また自然を敬い、定期的に儀式を行い、神を崇めていたのです。

更には巨大な建造物や道路も建設され、そこには優れた測量技術・土木技術が使われていたのです。

それらのすぐれた技術を用いつつも、すべては自然の循環の範囲の中に納まるように生活することにより、集落を維持・発展させながら1万年という時代を(おそらく争うことなく)持続させてきたのです。

この先調査が進めばますますその生活実態が明らかになってくることでしょう。


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さてここからは私の想像となるのですが、彼らの生活はとても豊かに感じられるのです。

もちろん平均寿命は現在の半分にも満たない30歳ぐらい(?)でしかなかったことでしょう。

けれども中には60年、70年と生き続けるひともおり、その人たちは長老と呼ばれ、誰もから尊敬され、敬われていたことでしょう。

彼らはたとえ若くして死んだとしても、死んだらあの世に帰り、またこの地に戻ってくることを分かっていたのだと思うのです。

だから死をそれほど恐れていなかったのではないかとも思うのです。

そして現在のように精神的に追い詰められることもほとんどなく、毎日必要な労働だけを行い、そしてみんなで共に唄い踊っていたのだと思うのです。

ナントこの時代に既にお酒を造っていたような形跡もあるそうです。

 
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(時にお酒を飲みながら)炎を囲み子供たちに話しを聞かせ、あふれんばかりの星を眺めて果てしない宇宙を想像しながら、夢や希望を語っていたことでしょう。

それらがどのような内容のものであったのか想像もつきませんが、(その夢や希望は)現在とは全く違ったものだったことでしょう。


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目を閉じれば彼らの笑顔が思い浮かびます。そこには同時に逞しさと優しさにも充ち溢れています。

そして彼らは「お~い、一緒に山に山菜採りにいかんか~?」と笑顔で呼んでいるのです。





らいふーあーと21~僕らは地球のお世話係~