お酒の席で聞いた話し。

仕事で成果を上げている50代の女性

けれども家に帰れば夫の虐待を受けて20数年。

何度か離婚するチャンスがあったが、それを逃しこれまでやって来た。

夫が定年する3年後が最後のチャンスだと思っているのだが、その時どうするか迷っている。


いつも元気でさわやか朗らかアラフィフティ男性。

仕事もバリバリ、Facebookでも幸せ満載、充実感たっぷり。

けれども実は子供の1人が自閉症で大変だそう。


一見すると活躍し、順調な人生を送って、羨ましく思える人々。

けれども裏ではそれぞれに課題を抱えて生きている。

すべてが順風満帆と言うわけではない。


普段はそれを見せずに、明るく振舞っている。

それを気遣いと言うのだろうか。

それともそれは、自分への慰め、あるいは他人への見栄?

様々な思いがある中で人づきあいは行われているのだろう。


仕事も順調、家庭も円満、全てが順調と言う人っていないのだろうか?

例えあったとしてもそれは一時的なもの?

それは神様が与える試練?

変化することこそ不変なもの。

それぞれの魂の成長に必要なのだろうか?


人はそれぞれに表面があれば裏面もある。

そんな両面を持った人々が混じり、交じり合い社会は形成されている。

それぞれの持つ側面が時に引き寄せあい、時に反発し、そして装いながら…

協力し合い、対立し、近くなったり、遠くなったりしながら…。


人はひとりでは生きていけない。

だから本音と建て前を使い分け、社会の中でつながりを持ち続ける。

社会とは単純であり、複雑怪奇でもある。


そんなことを考えた。


今の僕がいる世界とは、僕の居心地が良いように作り上げた世界。

僕が好きなことを好きなままに行う世界。

このままでよいのだろうか?


僕の大きな方向性は、自然の中で調和し、自然に従い生きていたいということ。

けれどもそこにはやはり人がいた方がいい。

一緒にそうしたい。

この大宇宙は「愛」と「調和」できているのだから。


今からでも少しずつ世界(人間社会)を拡げていきたい?

それがストレストなるかもしれないけれど…。

何故ならこのところ人に対する興味が湧いてきたし、

それがまた僕の成長につながるから。

だから今更ながら社会へ再入学。


先日突然(インターネットの)占いをやってみようと思った。

そこで出てきたのは、

「この先順調にいくけれど、よりよくするために『遊び心』を持ちなさい。」だった。


確かに人との付き合いには「遊び心」が必要だ。

これまでの僕はガチガチの一方通行。

だからこの先(本音と建て前と、裏と表と適度に使いつつ、)自分の中に「遊び心」を養っていきたいと思う。



らいふあーと~僕らは地球のお世話係~