「幸(しあわせ)」と「辛(つらい)」のふたつの漢字。
横線「一」本の違いで何故こうも意味が違ってくるのでしょうか。
片や「幸せ(しあわせ)」~喜びに溢れており、
片や「辛い(つらい)」~つらくて、苦しくて…
この違いは何なのでしょうか?
全く違うようで、実は紙一重の違いなのでしょうか?
ポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかの「考え方」の違いだけなのでしょうか?
それぞれの字源を調べてみたところ、
「幸」とは、若死にせず永らえるということから「しあわせ」となっており、
一方の「辛」は、奴隷の額に入れ墨を入れるための磔から来ており、全く両者は違った字源であることが分かりました。
けれども何か納得いかないのです。
本当にそれだけなのでしょうか?
字源は(全く)違っていても、これだけ似ているのは何か意味があるのではないでしょうか?
そこで私なりに考えてみました。
私には「幸」の上の部分は「土」に見えます。
一方の「辛」は、「立」と「十」、あるいは(上は)「′(点)」に見えます。
この「土」に関係するのではないかと思うのです。
ところで私が実家のみかん(いよかん)づくりを引き継いで5年ほど経つのですですが、未だに本当に納得いくみかんはまだできていません。
特に今年は多くの木が枯れて壊滅状態に近く、一体この5年間何をしてきたのだと思うばかりです。
けれども最近つくづく思うのは、「土」と「根っこ」の大切さです。
人は果実を育てるに当たって、土から上の幹・枝・葉、そして実(み)ばかりを見ています。
世話をするのも剪定をして枝を落とし、葉を見て水や肥料を与え、そして実を見て食べて喜びます。
もちろん枝や葉を見て適切に対処することもとても大切なことですが、それと同様に、それ以上に土と根が大切ではないかと思うのです。
みかんの木に限らず多くの木は地中深くに根が張り巡らされていれば、大風が吹いたり、干ばつとなった際、少々の枝が折れたり、葉が落ちることはあるかもしれませんし、一時的に弱ることがあるかもしれません。
けれども時が過ぎれば再び(元気に)よみがえります。
「幸(しあわせ)」もこの木と同様ではないかなと思うのです。
最近私がよく思うことは、社会は便利になればなるほど、人は弱く(脆く)なっているのではないかということです。
車社会となり、人間は随分体力的に弱くなったと思います。
パソコンが発達し、漢字も書けなくなり、計算(暗算)も出来なくなりました。
レトルト食品・外食産業の発達・スーパーのお惣菜の充実で料理も料理の腕も落ちてきたように思います。
今と比べてかつての(不便な?)社会の中には、数多くの自分(の強さ)をつくり上げてくれるものがあったのではないかと思います。
今の便利さは何かあればあっという間に幹から折れてしまう、あるいは根っこから倒れてしまうのではないかと思います。
ならば「幸(しあわせ)」も「辛」(つらさ・苦しさ)を根っことして大地にしっかりと根付いていれば少々のことがあっても倒れるようなことはないのではないでしょうか?
うわべだけの幸せはあっという間に折れてしまいます。
一発芸人が絶好調の後にどん底となるケース、あるいは結婚して幸せそうに見えても、あっという間に離婚するケースなどそうと言えるかもしれません。
つらいこと、苦しいこと、不便なこと、悲しいこと、できれば避けたいと思います
けれどもそれらは、私たちの根っことなり、私たちの人生を強くたくましいものとしてくれ、そこに本当の幸せがあるのかもしれません。
そして私たちはその数々の辛さを土の中に隠し、明るく楽しく生きていくことが必要なのかもしれません。
「幸」と「辛」ほんのわずかな違いながら、そこには大きな意味があるように思います。
さあたとえ現在たくさんの辛さがあったとしても、それらが大地にしっかり根を伸ばしたら、今度は幸せの芽が伸びていきます。
だから未来に向かって生きましょう!
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