子供のころに習った「いい国つくろう鎌倉幕府」。鎌倉幕府が成立したたのは1192年というもの。けれども今では鎌倉幕府が成立したのは1192年とは教えないそうです。一説には朝廷が頼朝の支配を認めた1185年ともされるようですが、鎌倉幕府の成立は○○年と特定して教えることはなくなったそうです。

そのほか縄文時代は原始的生活であったことを習いましたが、実は高度な文明を要し、かつ9000年以上の存続していたことなど僕たちが子供のころに習ったことなど全く違うことが明らかになってきました。

先日「天才五井野正博士だけが知っているこの世の重大な真実」(ヒカルランド)を読んだのですが、ニュートン力学(引力)もアインシュタイン博士の相対性理論も間違いだそうで、真実は磁力なのだそうです。

その他生物学もどんどんと塗り替えられていきますし、英語など言葉もベースは同じとしてもどんどん変わっていきます。

結局僕たちが子供のころ机にかじりついて暗記したものは、間違いや変わりゆくものがいっぱいだったのです。僕らは間違いやあるいは当時の説を一生懸命記憶して、それを正しいと思いこみ、間違いのままで生きているのです。(まあその記憶したもののほとんどが忘れてしまったということも事実ですが…。)


さらに最近はSNSなどで、親が子供が持って帰ってきたテストを見て、解釈次第で正しいはずのものが、先生の固定した考えの為に間違いとされてしまったという投稿をよく見かけもします。

年齢を重ねてさまざまな経験をしてきた今思うことは、先生も一人の煩悩溢れる人間であり、決してすべて正しいわけではないということです。今思えばずいぶんと先生のわがままない振り回されてきたものだと思うこともたくさんあります。

先生とは子供たちにとってより多くの経験をした人生の先輩ではあるにしろ、絶対的な存在ではないことを僕たちも先生自身も知ることは必要ではないかと思うのです。

現在の学問が絶対的に正しいものでないこと、そして先生も絶対的な存在ではないことを踏まえて、教育の大改革が必要ではないかと思うのです。

現在子どもたちは小学生の時から塾通いし、6年生は受験勉強の1年となっている子供も多いようです。学歴社会が崩壊しようとしているにもかかわらず、今も多くの親が勉強させてよりよい大学、よりよい企業、あるいは公務員へと願って子供を塾へと通わせています。そしてそこで教えられるのは計算と暗記の世界です。

どのくらい前からそのようになったのかは分かりません。(もう30年位前のこととなりますが)僕も子供のころ中学3年生の時には塾に通ったこともあります。20年前東京で住んでいたころ「N」マークの入ったかばんを背負った小学生の子供たちが電車に乗っているのを見て、「一体この子たちは何なんだ!親はいったい何を考えてんだ!」と思ったことがあります。

それらの結果として現在の社会があるのだと思います。


大競争社会、いじめに自殺、格差、貧困層の増加、利権の奪い合いとその露呈、結局はすべてがお金で動き、動かそうとする世の中となってしまったようです。

そしてそれらを助長しているのが現在の教育としか思えません。

だから今こそ教育の在り方を改めるこ時だと思うのです。

科学の発達は何も間違いを発見することだけではありません。縄文時代の人々の生き方がわかってきました。そして学問の研究により江戸時代の人々の生き方、考え方、生活スタイルがより詳細に分かってきました。

いま僕たちが教育に必要とするものは、現在の教育のメインとなっているものとは正反対のところ、つまり生命の尊さ、人への優しさ(思いやり)、共に生きること・かされていること、そして地球(自然)や宇宙の神秘さ・恩恵を学ぶことであり、見えないものを感じる力だと思うのです。

そして更に必要なのが単に暗記するだけでなく、自分の頭で考え判断すること、そして創造していくことだと思うのです。

お金の豊かさ=物質的豊かさだけでなく、精神的豊かさ、すべてのものとのつながりを感じる教育が必要だと思うのです。

そんなことを思うこのごろです。

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