前々回の記事では障がい児の特別支援学校や学級の増加、そして障がい者の支援事業所が増えていることをお伝えし、これからは障がい者を活かすことで社会を変えていかなければならないのではないかということを提案したのだが、それではどのようにそれを行うか考えてみたいと思う。
             
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もう7,8年前になるのだが「1/4の奇跡~本当のことだから~」というドキュメンタリー映画を見た。この映画は当時養護学校(現在の特別支援学校)で教師をしていた山本加津子先生を主役に障がいのある子が持つ能力や純粋さを伝えるとともに、彼らも同じひとりの人間であることを教えてくれる映画だ。
             
             
その映画の中でペルーの古代博物館に展示保管されている(古代の)布織物の話が出てくる。その布にはたくさんの手が描かれている(編まれている)のだが、中心にある手ひとつが、なんと6本指の手なのだ。
             
             
余談となるが手足の指が生まれつき多いひとはまれにいるようで多指症(たししょう)、逆に少ないのは欠指症(けっししょう)と言われ、あの豊臣秀吉も右手の親指が2本あったらしい。(ウィキペディアより)
             
             
映画の中で博物館の館長は、6本指の手が真ん中に置かれている理由を、当時は障がいのある人を異端視するのではなく、特別な人として、つまりは神の使いとして崇められていたのではないかと推測している。
             
             
この話がとても印象に残り、その後もずっとこの映画を思い出すときはいつも古代布が浮かんできて、その意味を自分なりにその都度考えていた。そんなある日よくお世話になっている人と飲む機会があり、その際に縄文時代に狩りの方法の話が出てきた。当時狩りに出かける際に自閉症の人を連れていくのだが、その人をどこに配置したかということだったのだが、真中に配置していたとのこと。その理由は、自閉症の人は周囲の異変等に最初に気づく能力を持っていたかららしい。
             
             
この話を聞いて、古代布の話しと重なり凄く感激した。同時に障がいのある人の位置づけにビビッと来るものがあった。そう、障がい者を真中に位置づけて考えるのが本当なのだ!
             
            
もちろん歴史の中では障がいのある人を見せものにされたりした時代もあるのだろう。けれども明治以降合の近代化の時代の中で、合理的思考が重視されていくようになり、彼らは不完全な人間として、差別され、隔離されるようになって来たと思うのだ。そんな中で本人やその家族、そして支援者の力で、今日の障がい者福祉が制度化され、彼らの居場所がつくられ、権利が保障されるようになってきた。その成果が特別支援学校であったり、障がい者の支援事業所である。
             
             
けれども現在それが新たなる転換期を迎えていると思うのだ。先にも書いたが特別支援学校・学級は増加、不足の事態にあり、支援事業所は増え続けている。そして障がい者支援だけでなく日本の社会保障費は莫大に増え続け、国の財政を圧迫している。それ故に医療保険も自己負担額は上がり、最近では介護保険制度などは利用者負担の増加がすすんでいる。正直このままではもたないと思うのだ。両者が共倒れになるのではないかと懸念する。
             
             
そこで思うのが、障がい者を活かす社会をつくるということであり、その方法が障がい者を真中において考えるということである。
             
             
障がい者を真中において考えるとは、ひとつはインクルーブデザインと呼ばれる手法がある。これは子供、高齢者、障がい者などマイノリティ、いわゆる社会的弱者といわれる人たちをデザインする段階から積極的に調査し、そこから出た課題をや気づきをアイデアに変換し、それらにも対応できるデザインを考えるという手法である。もっと簡単にいえば障がい者や高齢者なども含めてだれもが使える(使いやすい)ものづくり・ことづくりを行うための手法である。ただそれも重要かつ必要な手法であるのだけれども、今回ここで提案するのは、デザインプロセスよりも、一般企業の障がい者雇用という面から「障がい者を真中において考える」ということである。
             
            
一般企業における障がい者の雇用において、現在は従業員50名以上の企業には、2%の障がい者の雇用(法定雇用率)が義務付けられている。つまり50人の従業員(正社員)がいれば、1人は障がい者雇用をしなければならない。そして従業員が100人以上の企業においては、法定雇用率に満たない場合は、納付金(いわゆる罰金)をその不足人数に応じて支払わなければならない。そこで企業は障がい者を雇用することになるわけだが、現状を見る限り、ほぼ義務だから雇用するという考えであり、多くの企業が最低賃金、あるいはそれに近い金額で雇用するのが通常となっている。
             
             
けれども最近障がい者雇用により、その職場環境が良くなったとか、従業員のやる気が向上した、あるいは業績が上がったということがよく言われるようになってきた。それが書籍にもなっている。例えば「なぜ障がい者を雇う中小企業は業績を上げ続けるのか」影山摩子弥著(中央法規)などがある。そこに書かれていることは、障がい者雇用で得られることとして、
             
    ・人材育成のノウハウができる
    ・社内の業務の流れが改善できる
    ・職場環境が改善できる
    ・健常者社員が前向きに取り組むようになる
    ・適材適所のノウハウが形成される
    ・戦略的観点が身につく
      以上の6点が挙げられている。
             
             
まずはこの観点から障がい者雇用に取り組めばよいと思うのだ。いきなり障がい者を真中において企業経営をしろと言っても、現時点ではどうすればよいかも分からなければ、よほどの企業でしかそれで経営が成り立つとも思えない(例えば日本理化学工業)。そこから少しずつ障がい者を理解しながら、障がい者のできる能力を見極めていけばよいと思う。
             
             
現在における企業経営は利益第一主義であり、いかに成長・拡大していくかということに主眼が置かれている。グローバル経営の中で、大量生産・低コストが求められる中では仕方ないことではないかとも思う。けれども時代は少しずつ変わりつつあり、これまでのグローバル主義に疑問が呈されるようになり、また手作りの製品が見直されるようにもなっている。(手作りの)雑貨が人気であり、DIYが人気となっているのもその一つだろう。そこにはこれまでの大量生産・均一製品に対する価値観の変化が読み取れる。やがて人々に大きな変化をもたらし、それはいずれ企業にも大きな変革を迫ってくると思うのだ。もしかするとそれは社会情勢にも大きな変化を強制してくることがあるかもしれない。その時こそ障がい者を真中に考えることが出てくるのではないかと思うのだ。
             
             
まだまだそのような変化が来るように思えないかもしれない。そこは世界中が金融ジャブジャブ政策をとり、日本でも補助金ジャブジャブ、中央銀行による株価吊り上げ政策でその状況を維持しており、そのように見えるが、それも限界に近づいている。企業においては徐々にであるが、そこから抜け出し、あるいはそれを頼りとせず、御用達に徹しようとする企業が現れ出している。同時に若者の働く概念、中堅どころの仕事に対する意義も変わりつつあり、報酬よりも働きやすさや、意義を求め始めている。また人々に「持続可能性」であったり、「ロハス」ということも徐々に浸透し始めている。これらの認識がもう少し進めば障がい者への認識も改められはじめ、そこで初めて障がい者を真中において考えるということが出てくると思うのだ。
             
             
そして障がい者を真中において考えることが人々に認識されたときにはじめて、人々の社会に対する認識の変化、そして地球に対する認識の変化が生じてくると思うのだ。人々の意識の変化が生じると思うのだ。今はまだ利益、自己利益=エゴが渦巻いているけれど、そこから抜け出し他者意識が出てくると思うのだ。
             
            
まだまだ時間はかかるのかもしれない。けれども残された時間も少ないのかもしれない。どちらが早いのか勝負なのかもしれない。どちらにせよそこに留まっているのではなく、私たちは一歩を踏み出すしかないのだと思う。
 



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