株価が連日値上がりし、戦後最長の日経平均株価連続値上がり日数を更新したと騒がれています。きっと株を手にしている人は大喜びであり、この先の期待感も膨れる一方なのではないでしょうか?かくいう私も実は株を少々持っています。ただしそれは私が購入したものではなく、親父の遺産として(電力会社の株を)時価にして200万円ほどのものを相続したものです。


その株についてあるのは知っていたものの興味がないのでずっと放ったらかしにしていました。、ところが数か月前にその株を預けている証券会社から電話があり、その株を売って他の株に変えませんかといってきました。原発反対派の私としては電力会社の株など持つのも嫌だったので了承したところ、そして中国のIT株を購入を勧められ、あまり乗り気にはならなかったものの何も考えずに任せました。すると3ヶ月後に再び連絡があり、株価が上がり今売れば40万円の利益が出るので、その株を売ってほかの株にしましょうとの話しでした。


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万円預けたら240万円となり、たった3カ月で2割増しとなったのですからすごいことです。本来なら大喜びなのでしょうが40万円の利益を手にしても少しも嬉しいと思えませんでした。なぜならもともとそのお金は私のものではありませんし、また自分自身の手で稼いだわけでもなく言われるままに「ハイ」といっただけのものであり、「つまらない」としか思えませんでした。


その後証券マンはいかにも次に買うべき株を進めてくるのですが、うるさいな…としか思えませんでした。なぜなら株で短期でいかに儲けるかというのは一種の博打であり、マネーゲームとしか思えないからです。現在企業は株価対策に追われており、企業の戦略も株価の維持もしくは上昇させることがウエイトを占めているところも多いように思われます。それ故に短期の利益に走り、儲かればよい、時に不正もひとつの手段と考えているように思うのです。そこには社会のためというのが抜け落ちていると思うのです。


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以前から「会社は誰のものであるか」という議論がなされています。私はこのところずっと社会(を良くするため)のものであり、従業員(とその家族、関係者)や顧客のものの立場です。株主はその一部でありはしますが、決して会社の主役ではないと思っています。



株主とはその会社の長期的成長、(その会社を通じて)社会をよくするために援助するものであり、その会社が悪い方向にいかないように見守る存在であると思うのです。その結果配当というものが生じ、それを手にするものだと思うのです。


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その証券マンはこの株をこの株をと勧めてきます。そこで私は今の証券会社のあり方に、そして彼の価値観にほんの少しでも影響を与えることができるならばと思い、次のように言いました。


長期的(5年間)に見て、これから社会をよくするために絶対に必要だと思う企業を選んで欲しい。ただしそのお金は親父の遺産であり、無駄にするつもりはない。銀行の定期預金の金利よりもよい結果となるものを選んでそれを購入して欲しい。


翌々日その証券マンが再び連絡してきました。AI(人工知能)関連株でした。上司とも相談してその企業の株を選んだとのことでした。正直私の言った意味を理解してくれたにも思えず、乗り気はしなかったのですが、「あなたが私の要求に沿ってその株を選んだのならば…」と承諾しました。もし5年後に損を被ったら損失補填をしろよと伝えると、「それは…」と逃げ腰でしたが…。


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結局今回の株の売買で思ったことは、自分で頭を使って、体を動かして、働いて稼ぐのが一番であるということです。そして自分で働いたお金で安心して暮らせる仕組みをつくることが政治家の仕事であるということです。決して株価を維持・上昇させることが政治家のすることではないのです。もちろん退職して年金の足しにするための利殖としての株式投資はありだと思います。けれどもそれは贅沢を謳歌するためにあるのではなく、つつましやかな暮らしを送るだけの利殖の獲得であるべきだと思うのです。そしてそこに社会の豊かさがあると思うのです。



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