権力者たちは自分たちを正当化するために、歴史を塗り替えようとします。正義は我にありとし、その存在を神格化しようとさえします。人々に強要し長い年月を経てやがてそれは真実の如く神話や伝説となり、歴史化されていきます。


例えばアダムとイブの話。それは旧約聖書の「創世記」に記された最初人間の話です。そこで生み出されたエデンの園はまるで砂漠化する前の中東の地のようにも思われがちですが、それはもしかすると時の権力者がそうした話かもしれません。もともとはシュメールが生み出した物語ともされていますが、もしもそれがシュメールでは東の国とされていたならば…、そしてそれが旧約聖書で書きかえられたならば…。さらには新約聖書でも書きかえられたならば…。そして現在でもそれが唯一残されているものが復活祭=イースターであるならば…。空想は広がっていきます。


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紀元前7世紀ごろアッシリアに追われた北イスラエル王国の10支族は各地に離散を余儀なくされました。それぞれの支族は各地で奴隷とされたり、苦役を負わされたりもしました。中にはひどい虐待を何世紀も渡って受けた支族もありました。そのような中で国を追われたときから東方を目指した士族もありました。


かつて我々の先祖は何千年も昔に日の出ずる東の果てからやってきた。そこは遙かなるこの陸の向こうの更に海を渡った島である。そこは誰もが平和に暮らす地であり、この世はその東の地から始まった。我々もそこからやってきたのだ。そのような伝説を長老から聞かされていたのです。そこで彼らはアッシリアに追われた後、その伝説を信じて東へと向かっていくこととしたのです。


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ユダヤの歴史は、神に選ばれた民族とされながらも、争いの歴史です。これまで安住の地を求め移住を繰り返し、時に捕えられ捕虜となったり、時に領土を構えてきましたが、そこには絶えず争いや支配が繰り返されていました。そのような日々を終わらせ、争いのない平和の地、わが先祖イースターの住む東の地へと彼らは向かうこととしたのです。


しかしながらそれは何世紀にもわたる過酷な旅でもありました。何世代も世代を交代しながら彼らは東へと向かいました。時に捕えられ苦役を強いられ終える世代もいました。時に再び分散することもありました。また時にはその地の人々と融合することもありました。それでも彼らは先祖の言葉を信じ、それを達成するするために東の地を目指して移動し続けて行ったのです。


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移動していく中で各地の民族との接触を通じて、彼らは様々な知恵や技術を教え、また身につけていきます。もともと移住の民族でもあることから、交流や交渉は得意とするところでもありました。そして彼らはひとつ自分たちに課していたことがあります。それは争いのない平和に暮らす東の神の国に行くために、決して争いはしないということです。それ故時にその地に住み続け、知識や技術の交流を通じて、新たな知恵を獲得し、それをまた新たな地へと伝えて、彼らは東へと向かったのです。


彼らが獲得した知恵や技術のひとつが水田による稲作という農業でした。それまで寒冷地帯や乾燥地帯では野菜などが少ない時期、あるいは天災により採れない時期を干し肉やドライフルーツなどの乾燥させたものでしのいできましたが、稲作により高栄養のものが長期間保管できるようになったのです。


ある日支族の長は夢を見ます。それは朝陽に照らされる中で身を清め祈りを捧げる女性の姿でした。その姿は彼がこれまでであった女性の中で最も美しく神々しい姿でした。その女性は振り返り、彼の姿を見つけはじめは驚いた様子でしたが、やがてゆっくりと右手を彼に向けて差し出したのでした。目が覚め起き上がった彼はそれは正夢であり、その日は近いと確信したのです。


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それから数か月。彼らは遂に陸の(東の)果てにやってきます。そこにいる誰もが手を取り喜びます。その中で彼はこれまでの苦労、そして何世代にもわたって続いた旅、かつての長老たちの姿を思い出したのです。それと同時に夢に現れた女性の姿を浮かべるのでした。


そして翌日、彼は海の向こうに朝日とともに光の陰として浮かびあがる島を見たのです。それはまるで黄金の島のようであり、まさに伝説の神宿る地であったのです。


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次回へ続く)









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