ヨーロッパの貴族の紋章や企業のロゴ(マーク)を見たことがあると思います。そこにはライオンや鷲が描かれていることもあれば、蛇やトカゲなどの爬虫類が描かれているものもあります。一見すると爬虫類など気持ち悪いと思われますが、それは爬虫類の(獲物を狙うと)絶対にあきらめないところ、喰らいついたら絶対に離さないところ、そして(なかなか)死なない・生き延びるところにあやかっているとのことです。すなわち爬虫類の執念、そして勝つ(獲物を獲る)ための知恵にあやかり、それをシンボルとして取り入れているとのです。そして彼らには勝つことこそが(唯一の)正義につながるという思想もあるそうです。それは勝つためには手段を択ばないこともあります。また何十年、何世紀と時間をかけて勝ちを取ることもあります。それはその世代だけでなく一族の名誉をかけての戦いでもあるようです。


Photo_3



さて第1回にも書きましたが縄文の暮らしは自然に即したものでした。大自然こそが偉大なるものであり、人間はその中のひとつに過ぎず、その法則に従って生きるというものでした。それ故に自然に手を加えるのは最小限度にとどめ、人びとは自然を崇めて暮らしていたのでした。そして人々は大なり小なり自然の声を聞きいていたのですが、その能力が最も高く偉大なる自然の声、多次元の声を聞く存在がトベであり、そのトベを中心に集落は形成されていたのでした。


けれどもいくらすべては自然の中の循環物であろうとも、人間は喜びもあれば悲しみもある存在です。また智恵を働かせ、争いや困りごとの問題を解決できる存在でもあります。それ故に子供が生まれると喜び、その子の成長を願います。そして亡くなれば自然に返ると言えど悲しみます。日本は四季豊かな国です。豊富な食べ物に恵まれつつも、季節やその年によっては食料が乏しい時もあります。そんな時病が流行れば子供は死に、時には村の存続の危機ともなり得ます。トベはその解決方法はないものかと願っていたのでした。


Photo_4



ある時トベはいつものように夜明けとともに禊ぎを行っていました。それは代々のトベから引き継がれた儀式であり、その地と身体を清めるためのものでした。禊ぎが終わった後トベはしばらく水の精霊たちと戯れていました。水はすべての生命の基であり、それ自体もまた生命です。朝陽と共にすべてが輝きだし、新たなる生命が芽生え、その中に身を浸していると、何やら気配を感じました。そしてそこに現れたのが西からやって来たという男であり、その手には稲穂が握られていたのです。そうしてその男の持つ稲穂により、水田技術がもたらされ、それにより栄養価が高く、かつ長期の保管がきくトベにとっては願ったり叶ったりの物が得られたのです。


トベが出会った西から来た男たちは平和と安住を求めて何世紀にも渡り、東へと移動してきたものでした。彼らは戦いの愚かさを知り、争うことを止め、その土地その土地の風習を受け入れながら、共存しつつ移動し続けてきたのでした。それが彼らが何世紀にも渡り移動してきた中で得てきた知恵でもありました。故に彼とその集団はトベとその村の人々とも共存することを第一としつつ永住の地にたどり着いたことを喜んでいたのです。


しかしながら時と共に風習の違いなどそれぞれに折り合いのつかない者たちが出てきたことも確かでした。その者たちはそれぞれに分かれ、一方で従来の暮らしを続け、一方は低地で水田技術を発達させていったのでした。けれども水に恵まれた土地においては水田技術を使う方が食べ物には恵まれていました。その分生存率、出生率ともに高く、繁殖力・繁栄力共に従来の人々よりも大きかったのです。


Photo_2



さてトベと出会った西から来た男は失われた十支族の一支族であり、彼こそが最初に日本にやって来た(再び戻って来た)一族でしたが、日本にやって来た支族はそれだけではありませんでした。アッシリアよって国を失い、再び流浪の民となった十支族はそれぞれに各地をさ迷うこととなりました。支族の中には儀式を専門とする集団もありました。彼らにとって儀式の主となる棺を守ることこそが一族の使命でした。彼らもまたその棺を安全に場所へと移動させるために、東へと向かい、陸地の果てにある海を超えた向こうということで海伝いに伝説の地を求めたのでした。


こうして海を渡ることとした支族もいれば、新たな国を作ろうとした支族もいました。それぞれが各地をさ迷いつつ移動していく中で、他の民族と出会い、受け入れられることもあれば、戦うこととなったこともありました。時に戦いに勝つこともあれば、負けることもありました。負けた時には捕虜となり、奴隷の如くひどい虐待を受けたこともありました。そのような中で戦いの方法を磨く者たちもいれば、生き抜く知恵を磨くものもいました。また支族の中にはどのような手段であれ、生き延びることを第一とした支族もありました。そしてその支族の多くが子供のころから言い伝えられた東の国を意識的に、あるいは無意識のうちに思い出し、東へと向かって行くのでした。


Photo



(
続く)



らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~