服と靴を買おうと思い、ショッピングセンターに行ったのですが、いかにもありきたりとしか思えないようなものばかりで、買いたいと思うものが見つからず、これならば今あるもので十分だと思い、結局何も買わずに帰って来きました。

その後中学校で先生をしている人に会い、いろいろと学校の中の話しを聞きました。毎日なんだか書類づくりや雑用(?)系の作業に追われて大変そうでした。家に帰って寝るだけ、ストレスのはけ口は、同僚と週末に日をまたいでのおしゃべりや愚痴のこぼし合いとのこと…でした。

ショッピングセンターに売られている服も、先生の仕事も、なんだかどれもこれも経済システムの一部というような気がしてしました…。今や世界は西欧式の経済システムに染まってしまい、多様性とは程遠いモノカルチャーになってしまったようです。

いくら多様性や個性といいつつも、それは経済システムの上においてのことで、すべては消費するための道具に過ぎないのではないでしょうか。


先生は毎日一生懸命に働いています。子供たちのことを考え夜遅くまで仕事をしています。先生となるのが子供のころからの夢だった人も多いことでしょう。けれども(今行っている)それは経済システムのコマの生産にすぎないことを、気付いているのか、あるいは気付かないふりをしているのか…。そのような中で先生を続けているのです。

本来ならば子供たちに文学の喜び、人間の想像力、多文化コミュニケーションの喜び、数式の不思議、数学の面白さ、科学の未来創造など喜びや(過去の反省を踏まえて)人間の未来への可能性を伝えていくためのもののはずが、そのようなものは二の次で競争社会へのコマの生産となってしまっているのです。

現代の先生の喜びは一体何処にあるのでしょう。子供たちが生命の喜びを伸ばしていくのではなく、受験を受けさせ、企業戦士となるべき兵を育てていくという現実の中で・・・。わずかばかり夢を叶える者への幻想でしょうか?

そして当の子供たちもまたお上(大人たち)のエゴによって中学、高校、大学へと入るための勉強を強いられ、人間の持つ多様性、生命の喜び、魂の成長などは葬り去られ、本来なら一番多感な時代・吸収力のある時代をただひたすら問題を解くための学問を押し付けられているのです。


僕たちの時代(もう20,30年前となりますが)では、よい会社に入ることが、よい暮らしあるいは安定した暮らしにつながるという意識の下、高校・大学への受験戦争に臨み、勝ち進むことが学校の方針でした。けれどもバブルははじけ、大企業もリストラあるいは倒産する時代となり、大企業への就職=安泰な人生という方程式が崩れ去りました。

にもかかわらず、学校とは今も変わらずに受験のための教育を続けているのです。それどころかそれらは地方でも中学受験となり、ますますエスカレートしているようにも思われます。


しかし子供たちは既にこのおいなる矛盾、お上の策略に気が付いているのではないでしょうか。子供たちは今の経済システム、いえすべてのシステムが末期的状況にあることも知っているのです。だから今の学校システムに魅力を感じずに不登校は増えているのです。たとえ学校に通っても不満の感情の向けどころがいじめへとつながっていくのです。あるいはただただ親の方針に従いよい子を演じているのです。それに気づかぬは現場の大人たちです。

そろそろ一度全部壊してしまい、リストラクチャリング(再構築)する必要があるのではないでしょうか?本気で考える時期に来ていると思うのです。




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~