最近知ったのですが親戚の子供が不登校となり、4月から通信制の高校に編入学し、再出発するそうです。もう十数年前ぐらいからでしょうか、身近なところで不登校の子供がいるといわれる方は多いのではないでしょうか?近くの中学校では20名あまりの不登校生がいるそうです。これって田舎の中学校だったら生徒全員ってことになってしまいそうです!

 

実際に文部科学省の平成27年度の調査では、小学生約31,000人、中学生約103,000人の計134,000人以上の小中学生が不登校(長期欠席)状態にあるそうです。子供の数は年々減少しているにも関わらず、不登校生の数はどんどん上昇しているのです。一体現在の学校ってどのようなところなのでしょう???

 

実は私は子供の不登校を否定するつもりは全くありません。むしろ賛成名ぐらいです。何故なら今の学校のあり方に疑問を感じていますし、何よりもこれって子供たちがSOSを発していると思っているからです。そしてその根本を探れば、大人たちが(いつまでたっても)変われないというこにあると思うからです。

 

sos

今時代がどんどん変わっていることを多くの人は感じていると思います。かつて当たり前と思われていたものがあっという間に古くなり、時代に合わなくなっています。そのスピードは速くなる一方で、10年ひと昔といわれていたものが、今では1年ひと昔といえるのではないかと思えるほどです。

 

そんな中で変われないものって何だと思いますか?私が思うに、1番は政治家、2番は官僚、公務員、3番は大企業に学校、4番は…。いずれにしろみんな既存の権力、権益、あるいは地位にしがみついている大人たちです。必死にそれらを守ろうとしています。そしてそこにあるのはお金や権力への執着です。

 

もちろんそこには家族を守るためという人も多いことでしょう。中には国のため、あるいは地域や子供たちを守るためという人もいるかもしれません。けれどももうひとつその奥を探れば、職や権力を失う不安や恐怖であり、更に言うならば自身の存在(意義)ではないかと思うのです。それ故に今あるものがどれほど古くなっていようとも、なるべく変えないように、あるいは小手先だけの変更としているのではないでしょうか?

か鏡に映る姿

 

確かにこれまで持っていたものを失うことは不安がつきまといます。自信が足元から崩れさることもあります。どん底へ落ちることもあります。私もそうでした。(今もそうかも…。)それでもひとこと言うならば、「なんとかなるものです。だからもう古いものにしがみつくのはやめませんか?

 

何故これを提案するかというと、先にも書いた子供たちのSOSはそこにあるからです。そして彼らは何やかんやありながらも大人の背中、特に両親の背中を見ているからです。そしてその背中こそが彼らの生き方にかかわっている(来る)からです。

 

そりゃ子供たちも両親の立派な背中がいいかもしれません。けれどもそれが権力欲やお金にまみれた背中であれば、あるいは組織依存していやいやながらも働く背中であれば、子供たちはきっとそれをどこかで感じていることでしょう。子供たちの感性はずっと優れています。そしてそれはどこかで何らかのひずみとなって現れることでしょう。

 

それ故に不安や恐怖を嘘ついて隠すよりも、自分の気持ちに正直な背中を見せませんか。迷い、失敗している背中でもいいのです。もがきながら生きる背中でもいいのです。それは始めは表面的に軽蔑されることもあるかもしれません。もしかすると子供たちがそれを理解するのはあなたが死んだあとかもしれません。けれども心の奥ではその姿はきっと子供たちの生きる力になるのです。

か考える2

だから迷っている背中を見せましょう。そんな中で必死で生きている背中を見せましょう。そしていつか自分が本当に求めているものを探し当てて、夢中になっている背中を見せましょう。トライ&エラーを繰り返しながら歩んでいくそのプロセス、その背中こそが子供たちの見本となるのです。

 

そしてそこにはきっと新しい子供たちの教育の芽が出ていることでしょうし、未来へ向かって活き活きとした子供たちの姿があるのではないかと思うのです。その時には不登校という言葉は死語になっていることでしょう。





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